『シーシュポスの神話』著/カミュ_訳/清水徹

2008年10月13日 21:39:57

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外出から戻り、夕方、机に着いた。
『何にもわからないメーター』が振り切っていると感じた。
ここまで分からなければ、『書ける』と思った。
そう感じて、机に座った。

原稿用紙を広げ、万年筆に『月夜』という名前のインクを充填。

いざ書こうとすると、欲が出た。
はっきりと言える。欲が出た。上手に書こうと思った。
うまく書こうと思った。

そう思った瞬間、なんにも書けなくなった。
ますます分からなくなった。
分からないメーターには、まだまだこの先の目盛りがあるみたい。
けれども全然参ってない。

書けなかった。ただそれだけの夜。

万年筆を置いて、本を読んだ。
愛おしい読書。抱きしめたまま眠りたい。読書。
じっと膝を抱えてそのまま本になりたい。

大好きな本を読んだ。

『シーシュポスの神話』
著/カミュ_訳/清水徹

カミュ。
そういえば、最近手にするのがノーベル賞作家のものだな。
ノーベル賞が発表されたから、というわけではなく、
あえて読もうとしたわけではなく、全くの偶然。

シーシュポス=シジフォスです。
あのギリシア神話の奴です。

その神話を根本の思想底に置き、不条理を追求していく。
カミュお得意の論法にカミュ思想の原点。

本書からいくつか。

『思考をはじめる、
これは内部に穴があきはじめるということだ。』

『告白するということだ。
生に追い抜かれてしまったと、
あるいは生が理解できないと告白することだ。』

『ひとりの人間が生に執着する、
ここにはこの世のあらゆる悲惨よりもさらに強いなにかがある。』

『かれは時間に従属しているのであり、
そうして恐怖に襲われることで、
時間こそ自分の最悪の敵だと気がつくのだ。』

『ぼくが平和を得るためには、
知ることと生きることを拒否するしかないこの状態』

『すべてを十分に考えたとき、断乎たる魂は、つねに、
「絶望」という答えを受入れるであろう。』

カミュの頭の中で経験し尽くした言葉が、心に響く。

そして、数日前から離れない『二十歳の原点』の言葉。

『独りであること、未熟であること、
それが私の二十歳の原点である』

何も書けなくて、コグマの絵をひとつ、原稿用紙に書いた。