●2冊●『新保守主義』【現代日本思想大系35】・『青春の墓標』
2008年10月21日 22:50:52
やっぱり本を読むしかなかった。
相変わらず愛おしいと思う。読書の意義や意味なんかどうでもいい。
ただ、読書という彼女らが彼らが愛おしくて仕方ない。
昔、計算したことがあった。
単語の数と助詞の数、そして動詞の活用数の総数での
全ての組み合わせはどのくらいになるだろうか、と。
いくつかの境界条件を設定しなければ、もちろん計算なんかできない。
標準的な文庫本一冊と限定したのではなかったか。
その組み合わせでいくつの作品ができるか、と。
計算の結果は忘れた。
計算しているうちにその無為さに気が付いた気もしたが・・・
どうだったか。
単語の数は限られている。
その限られた言葉からどれだけの作品が生み出されてきたのか。
それを知りたかった。
数学的な組み合わせで小説が書けるかどうか。
その不可能性を知りたかった。
計算結果はどうだったか。
脚本を書いているときにも、
よく使う言葉がある。いつも使う文節がある。活用の工夫も同じだろう。
けれども同じ一行になることはない。
同じ一行にならなければ同じ一枚にもならない。
どれほどの不可能性があるのか。
あの計算結果はどうだったか。
現代日本思想大系全35巻を読み終えた。
そして、『青春の墓標』
段ボールの奥底から取り出してきた一冊。
『二十歳の原点』に触発されて、読み直した。
自分は20歳の頃、何をしていただろうか。
20歳の頃、何を考えていただろうか。
目の前の快楽に溺れていただけだ。毎日の楽しさに浮かれていただけだ。
物質と欲望に犯されていただけだ。夢や希望を笑っていただけだ。
本を読みながらもそれは血にも肉にもなっていなかった。
二十歳。
今、『二十歳の原点』『青春の墓標』を読み直し、
自分が居た。
『新保守主義』【現代日本思想大系35】編集・解説/林健太郎
『青春の墓標』奥浩平
この大系の中でも特異な編集だった。
大局に立ちつつも小状況を見つめる論文。
最初は、焦点がぼやけているけれども、
読みすすむにつれて、硬度が増してくる。
そんな編集。
だいたい、新保守って何なんだ。
というところから自分は読み始めている。
読み終えた今、それが体内に落ちているかと言うと、・・・そうでもないか・・・
それは、時代的なこともある。
経験的なこともある。
現在の政治状況で新保守という考え方はありえないだろう。
マルクス・共産主義・社会主義・社会民主主義・アナーキズム・大学教育
芸術と平和・欧州状況・・・
そんな見地からの新保守と言う考え方。
どうにも現代に置き換えることが難しい。
置き換えることが難しいけれども、その思考経路はよくわかる。
論理的に立つ、という思考。
ようやく35巻を終えた。
目の前に、次の大系『近代日本思想大系』の最初の巻『福沢諭吉』がある。
解説「現代における保守と自由と進歩」林健太郎