●3冊●『孟子』『他殺の効用』『名曲謎解きミステリー』
2008年12月2日 22:42:42
毎日よくそんなに本が読めますね。
と、今日も言われた。
本番前で忙しいでしょう。いつ読んでるんですか。
凄いですね、と。
何度もここで書いてきたけれども、
本を読むということは個人性或いは個人の精神の属性に関わることなので、一般化はできない。
ぼくにとって本を読むということと、
あなたにとって本を読むことは、違う。そりゃ違う。全然違う。
どっちがどうという問題ではなく、
顔が違うように、
声が違うように、
本を読むことが違うだけで、
返答に窮する。
いつ読んでるんですか、と聞かれたら、
いつでも、と答えるしかない。
忙しいのによくそんな時間がありますね、と言われたら、
忙しいことと本を読むことは別です、とは言えずに、
そうですねえ、ホントによく時間がありますよ、と答える。
睡眠時間を削って眠くなりませんか、と聞かれたら、
自分を殴りながら読んでますよ、と笑う。
一年で500冊って凄いですね、と言われたら、
そうですね、と人事のようにしか答えるしかない。
読んだ本を忘れていきませんか、とも聞かれる。
全部覚えていますよ、と嘘をつく。どうでもいいし。
忘れるものは忘れるし、分からない本は分からない。
生涯忘れない本もあるし、読む端から忘れていく本もある。
ぼくのせいではない。
読むのが早いんですね、と言われる。
練習したからなあ、と思いつつも、適当にしか答えられない。
稽古場で本を読んでいると、照明家の若林恒美さんがいらした。
20年以上の付き合いだ。
ぼくが東京ではじめて音響として舞台についた作品で、
若林さんは、役者として舞台に立ち、その作品の照明プランを担当していた。
ぼくが18歳だったか、19歳だったのか。
以来、若林さんは照明家として歩き続け、ぼくは音響の道に進んだ。
あちこちの劇場で一緒に仕事をした。
20年以上が経っても全然変わらない。
世の中でぼくのことを「ひろしくん」と呼ぶ稀有な付き合いだ。
さすがに今、稽古場や劇場で「ひろしくん」と呼ばれることはないけれど。
若林さんには、「高木さん」と呼ばれるよりも、
「ひろしくん」と呼ばれるほうが何故かしっくりくる。
今日、若林さんがお菓子を持ってやってきた。
通し稽古。
その前に稽古場の外で二人で煙草をつける。
共通の友人の話や現在の仕事の話。
ヘア&メイクの恭子ちゃんや
衣装のクラモチさんと同じで、同じ言葉を共有している。
話が早い。ぼくの趣味も知っている。
通し稽古を見ればなにもかもがお見通しだろう。
あの会場でどんな照明が鮮やかするか。
阿佐ヶ谷ロフトという本来の劇場ではないスペースで
制約だらけの設備の中で、若林さんがライブする。
本番。
若林さんが照明をライブする隣で大和さんが音響をライブする。
その二人が悲劇を悲劇以上のものにしてくれる。
稽古を終えた。
若林さんの頭の中にしかない「悲劇」という照明。
必殺光線とライブする指先。
フェーダに添えられる自在の指が阿佐ヶ谷の夜を夜以上の偉大をするだろう。
今日から通し稽古。
これまでに積み重ねてきた稽古から何が生まれてきたのか。
今日も本を読んだ。読むか、書くか、死ぬか。3択しか思いつかないやっぱり夜。
口内炎が治って、なんだか寂しいよ、あの痛みが僕自身だったんだ、と
稽古後に劇団員に話すと、
ドMめ、と言われた。