●648●『貧しき人びと』『人間失格』『飢餓同盟』
2009年1月6日 01:32:55
そういえば、いつも脚本を書き始める前に音楽がある。
「こんな曲だ!」「この曲だ!」と。
その音楽にのせて言葉を選んだりする。
オープニングの曲は書き始める前に決まっていたりするのだけれども、
今書いている「詞篇・レプリカ少女譚」に、音楽が、ない。
ない、というか、目の前に音楽が流れない。
静かだ。とても静かな、単色の景色。
派手なオープニングが大好きだ。
賑やかでかっこよくて元気一杯、エネルギー充填100%の始まりが大好き。
脚本を書き始めている。
静かだ。
言葉がとても静かだ。
書き始めた。迷いは一切ない。
書けるか書けないかは別問題。迷いは一切ない。
言葉たちが静かなのが気にかかるが、それはそれ。
先日の大浦監督の言葉が耳に残り、勇気が沸いてくる。
そう、これを書き始めるには勇気が必要だった。
何に対する勇気か、それが分からなかった。ただ、決意と勇気、そう感じていた。
それを、大浦監督が事も無げに言い切った。
そして、脚本を書き始めている。
書きながらそのあまりの一元性に驚く。
人間は、一次元にとどまり続けることはできるだろうか。
明け方夢を見た。
自分はセロテープになっていた。
どこかの工場。
人間の声が聞こえる。
作業員がてきぱきと仕事をしているのが気配でわかる。
セロテープを引き出し、ぴりりと切り、何かをはっている。
セロテープの自分は、もうすぐ自分だ、もうすぐだ、と思っている。
せめて自分の胴体では切らないでくれ。
せめて、頭と体はくっついたまま、使ってくれ、と願っている。
あと数回で自分が引き出される。
お願い、お願い、首とか胴体でぼくを切らないで。
祈り続け、
次が自分だ。
こないだ読んだな、と思いながら、また読んだ。
太宰に公房。そして、ことしの主軸ドスト氏。
染み入るように「飢餓同盟」
戦いながら「人間失格」
自分への試験「貧しき人びと」
そうだ、「貧しき人びと」が20代から続く読書ラッシュの始まりだったんだ。
あの冬の日、突然わからなくなった「貧しき人びと」
難しい話じゃないのに、何にも分からなかった。
そして、ノルマを決めて本を読み始めた。
「貧しき人びと」
その何が分からなかったのか、わかった。それだけで大収穫だ。
あれから20年が経った。
分からなかったことがようやくわかり、だからといって、この本がわかったとはとても言えない。
『貧しき人びと』著/ドストエフスキー_訳/木村浩(224)
『人間失格』太宰治(205)
『飢餓同盟』安部公房(219)
ドストエフスキーを読もうと決めた今年。
あの大作群を目の前に恐れを感じる。
脚本書く勇気を出すだけで幾日も苦悶するような自分が読んでいいのだろうか。
こんなに読み手を選別する作家も珍しい。
埴谷雄高もそうだ。目の前に「死霊」がある。
なんとか、今年もう一度読もうと思っている。
けれども、これに手を伸ばす資格が自分にあるだろうか。自問。