●2458●『二十世紀の大政治家/レーニン・トロツキー・スターリン』『ドストエフスキー伝』『ロシア革命』『調律の帝国』『沙高楼綺譚 草原からの使者』『殺人者は西に向かう』
2009年1月23日 21:22:50
新聞やテレビで「夢」という言葉をたくさん見た。聞いた。
いつもそうなのか、ここ最近がそうだったのか、
普段テレビも新聞も見ないので、比較が出来ないけれども、「夢」という言葉が目に付いた。
寝て見る夢じゃない。
寝て見る夢なら毎日見ている。
今日は、生まれ育った長州の夢を見た。高校生くらいの自分。
懐かしい部屋。バンド。通学。破壊。そんな夢を見た。
その夢じゃない。
スポーツ選手が夢を語っていた。
政治家が夢を語っていた。
経済界の大物が夢を語っていた。
ふーん、そうなんだ、と「夢」を見たり聞いたり。
そういえば、「夢」を思ったことはない気がする。
かれらが発言するような具体的な「夢」を持ったことがない気がする。
小学生の頃(多分、文集)に、「ぼくの夢」、みたいなものを書いた覚えはある。
でも、それは、「夢」ではなく、「なりたいもの」だ。
確か、武士になりたい、って書いた気がする。
中学生の頃になりたかったのは、哲学者か、数学者。
それは、「夢」かなあ、ただのなりたいものだよな。
と思い、「夢」ってなんなんだ。と、思った。
自分の夢か。
なんだろう。
考えてみるも、やっぱりない。「夢」という言葉が漠然としすぎているからなのか、
どうもうまく考えられない。
「こうなれたら嬉しいな」とか「こうなったら幸せだな」っていう感じが夢ならば、
そうなればいいと思う。一生懸命やってそうなればいい。夢とは違う気がする。
目的・目標、と言われれば、わかる。
「夢」か。
漠然としたこの言葉に答えを与えるとすれば、
やはり漠然と平和。自主。独立。世界。そんなキーワードになってくる。
健康第一、健康第一、孝行第一、孝行第一、芸術第一、芸術第一、
劇団再生、劇団再生、とラスコーリニコフのようにぶつぶつ呟きながら、歩いた。
『二十世紀の大政治家/レーニン・トロツキー・スターリン』著/バートラム・D・ウルフ_訳/菅原崇光(716)
『ドストエフスキー伝』著/アンリ・トロワイヤ_訳/村上香住子(736)
『ロシア革命―レーニンからスターリンへ』著/E.H. カー_訳/塩川伸明(306)
『調律の帝国』見沢知廉(190)
『沙高楼綺譚 草原からの使者』浅田次郎(313)
『殺人者は西に向かう』西村京太郎(197)
なぜか、ロシアを読んでいた。
見沢さんが獄中で読んでいた本だ。
裏表紙に、348高橋哲央と記名してある。
ロシアの大著3冊。3冊で1800ページ近い。分厚い本だ。
レーニン、トロツキー、スターリン、そして、ドストエフスキー。
時代的には、1830年くらいから、ロシア革命が終わり10年、1930年くらいの一世紀。
かたや政治一色、革命色。かたや文学と精神。
両著に共通する人物が出てきてリンクしているわけではない。
時代的には数十年の差異があるにはある。
けれども、そこには、ロシアが抱え続けてきた人類の問題がありありと浮き彫りになっていた。
レーニンもトロツキーもそこを越えようとしていた。
ドストエフスキーもあがき続け越えようとしていた。
レーニンは、その緻密な論理と壮大な理想と情熱で、
少数派だったボルシェビキを党の大多数にし、1917年を革命した。
ドストエフスキーは、越えようとする人物をその全作品において書き続けた。
殺人という犯罪で越えようとした登場人物。
狂気という精神で越えようとした登場人物。
金という物質論で越えようとした登場人物。
革命という力学で越えようとした登場人物。
あの大作群の彼らだ。(ぼくは一体何をしてるんだろう)・・・
こんな生ぬるい時間の中で何かが手にいれらると思っていたのかな。ばか者め。
自分にびんたしてみる。
甘えるな、ポンコツ頭め。