●1145●『砂の女』『内なる辺境』『終わりし道の標べに』『現代短編名作選』

2009年2月13日 23:38:16

どうしても読みたくなる本がある。

機嫌が悪い日もある。どうしようもない日がある。
真夜中、風が強く、雨が混ざる。どうしようもない自分を持て余しながら、
歩く。真夜中だ。
今、全てを爆破できたら。
今、自分を破壊できたら。
今、発狂してしまえれば。

誰かを思い切り傷つけてしまいたい、そんな衝動に駆られる。
自分を責め苛み自立不能の心に押さえ込んでいる暴力衝動。
暴風の街に喧嘩可能な見ず知らずの他者は、いない。色眼鏡越しの
真夜中。雨交じりの暴風を、歩く。

昔のあの目に戻っているのがわかる。

自宅までは信号三つ。
「唐獅子牡丹」を歌いながら、空手に長ドスを振り回してみた。

親にもらった 大事な肌を
墨で汚して 白刃の下で
積もり重ねた 不孝の数を
なんと詫びよか オフクロに
背中で泣いてる 唐獅子牡丹

義理と人情を 秤にかけりゃ
義理が重たい 男の世界
幼なじみの 観音様にゃ
俺の心は お見通し
背中で吠えてる 唐獅子牡丹

エレベータの鏡で、色眼鏡を外し、自分の顔を見た。
人を殴り、右手小指を骨折したことを思い出した。
真夜中の明治通りで警官に組み敷かれたことを思い出した。

どうしても読みたい本がある。
『人間失格』がそうだ。
『未確認尾行物体』もそうだ。
『母と息子の囚人狂時代』
『砂の女』
『春琴抄』
『死の淵より』
たくさんある。

どうしても読みたい本がある。
『砂の女』を読んだ。

『砂の女』安部公房(276)
『内なる辺境』安部公房(106)
『終わりし道の標べに』安部公房(268)
『現代短編名作選』日本文芸家協会(495)

「現代短編名作選」は、見沢さんの本だ。
最後のページに、348 高橋哲央 と書いてある。
確かに名作ぞろいの一冊。
野坂昭如の「骨餓身峠死人葛」は、昔読んで、強烈なイメージを植え付けられた。
そのイメージは、以前書いた「月天」という脚本に反映した。
けれど、「もっと」だった。
野坂昭如の描く死人葛の快楽と恐怖。またいつか、きっと、書くだろう。
船橋聖一、日野啓三、北原武夫、古井由吉、井上靖・・・・
たくさんの名人たち。
見沢さんが千葉で読んだのか。

見沢ママと電話で話した。
ここ数日間のこと、体のこと、猫のこと、見沢さんのこと、8月のこと。
ぼくは、見沢さんの人生を思い、ぼくに出来ることはもっともっとやりますよ。
お母さん、お母さんにしかできないことがあるんです。
病気をしてる場合じゃないですよ。頑張ってやりましょう。
高木さんも病気をしてる場合じゃないですよ。頑張りましょう。
8月の舞台が見えている。
ぼくのわがままがひた走る舞台。
観客のことなんか知ったこっちゃない。
ぼくが描きたい見沢さん。ぼくが見たい見沢さん。

それにしても、「砂の女」だ。
驚くべき作品だ。
モスクワで「砂の女」を上演している劇場に足を運んだ。
そうか、こんな感覚は、日本だけじゃないんだ。
宗教を越えた人間本来の感情。
言葉を越えた人間らしい感情。

人間の原感情をこのように表現できる言葉の恐ろしさ。
砂に埋もれる家から逃げ出すことのできない一人の男。
具体的に考えれば、荒唐無稽もいいとこだ。しかし、

いつの間にか、具体が抽象に変化していき、特殊が一般化している。
風景が感情に変化していき、状況が読み手に変化していき、
安部公房得意のメタモルフォーゼ。
「燃え尽きた地図」もそうだ。追うものがいつのまにか追われるものに。
「密会」もそうだ。探し出すものがいつの間にか探されるものに。
「箱男」もそうだ。覗くものがいつの間にか覗かれるものに。

しかし、「砂の女」ほどの完成は、ない。

どうしても読みたい本がある。
どうしようもない夜がある。