●1746●『世界教養全集12』『世界教養全集32』『定本 謎解き「死霊」論』『こたつ』『かつどん協議会』
2009年4月15日 23:25:13
それにしても、『世界教養全集』が面白い。
500ページもの一冊を一気に読むことができる。
山積みにしてある全集を上から順に読んでいる。
教養全集を読むことに疲れたら、近代日本思想大系を開き、
楽しみながら読み進めていた『死霊論』を開き、
どうでもいい文庫小説は、お風呂で読み終え、
風呂上りに教養全集を開き、
面白くて仕方ない。
食べることを忘れ、そうだ、薬を飲むんだった、と思い出し、
そのために何かを食べ、薬を忘れないうちに流し込み、
本を片手にコーヒーをいれ、
あっ!
次の脚本の書き出しが決まったんだ、と万年筆をくるくるとスタンバイしてみるも、
まだ書き始めるには早すぎる、と教養全集を開き、
それに疲れて、思想大系吉野作造を開き、
岸田劉生の若き一言に胸を刺し貫かれ、
吉野作造の憲政の本義にがっぷり取り組み、
ロダン・ゴッホ・セザンヌ・ベートーヴェンと時代を一跨ぎし、
ミクロの世界を探検し、煙草に火をつける。
昨夜の会談が思い起こされる。
真夜中近くのジョナサンでの会談は、やっぱり本当のことを話したな、と思い出す。
演劇の話で本当のこと以外を口にすることができない。
それが、例えば、
演劇論なら、いくらでも誤魔化し口を叩けるし、見よう見まねのかっこつけもできる。
嘘八百を並べ立てることも、相手を煙に巻くことも簡単だ。
けれども、演劇律のある演劇の話となると、
そうはいかない。
そりゃそうだ。
頭の中を言葉が渦巻く。
全集の言葉が、死霊の言葉が、まだ生まれざる脚本の言葉が。
あの先日の公演で失った体重は、ほぼ安定し、
口の中がうずいて仕方なかった症状も完全に治り、
老眼は進み、
あと何冊の本が読めるのだろう、とぼんやりと思う。
今読んでいるこの一冊が最後の一冊かもしれない。
目の前の高い山脈を踏破できずに終わるかもしれない。
だが、それはそれだ。
この一冊が最後の一冊であっても、
例えば、あと1万冊読めたとしても、それは、同じことだ。
今、これを読んでいること。
今、考えていること。
やっぱりだ、結局、読むか、書くか、死ぬかしかないんだな。
いつもいつも、これが最後の一冊。
いつもこれが最後の一冊。