●1110●『吉野作造集』【近代日本思想大系17】『宗教と現代がわかる本〈2009〉』『人生は愉快だ』
2009年4月25日 23:45:07
酒を、呑みたいと、ふと、思った。
ずい分長くアルコールを口に、してはいない。
間違ってチョコレートボンボンを口にしたことは、ある。
乾杯のビールは、口に含みもしない。
何年もこの血中にアルコールを流してはいない。今日、
なぜか、
ふと、酒を呑みたいと思った。
ついぞなかった感情だ。その心の動きが面白い今日は、雨。そういえば、と
枕もとにおいてある文庫本を開いた。やっぱりあった。啄木だ。
とある日に
酒をのみたくてならぬごとく
今日われ切に金を欲りせり
そりゃ、金は欲しいさ! と啄木に呟いた外は雨。雨が降る日は時代小説を好んで
読んだな、と思い出した。啄木か。
神童啄木、そのかなしさよ啄木、
盛岡、渋民、函館、札幌、小樽、釧路、東京、赤貧啄木。
金があれば、啄木の才能はもっと開花しただろうか。
金があれば、彼はこうして新短歌を創造できただろうか。
金があれば、彼が書く小説にその才が芽生えたか。
そんなことはわからない。わかるはずがない。
ただ、金があれば、啄木はもっと長生きできたのではないだろうか。
28歳の生涯。金があれば、きっと体も治ったはずだ。
病気の兆候ももっと早くにわかったはずだ。
今も、同じだ。
金があれば、案外いろんな病気は治る。
仕事をせずにきちんと療養できる。
長い社会との断絶も金があればクリアできたりもする。
啄木はうたう。
わが抱く思想はすべて
金なきに因するごとし
秋の風吹く
金に余裕のある生活を渇望したのだろう。
金がなくて、社会主義思想に関わったりもしていく。
20代だ。いろんな思想に敏感に体が反応したのだ。
そして、うたう。
はたらけど
はたらけど猶わが生活楽にならざり
ぢつと手を見る
いつも逢ふ電車の中の小男の
稜ある眼
このごろ気になる
そうだ、不意に、酒を呑みたくなった。
なったけれども、呑まなかった。
家に、呑める様な酒は、一瓶もなかった外はまだ雨。
啄木は、金と、時間に飢え、ノートに歌う。体の不調を省みずノートにうたう。
晩年、朝日新聞の校正係の職を得、わずかばかりの安息が生活を覆った。
生活は少しましになったけれども、体は、まいっていた。
手遅れだった。三年後、死んだ。金があれば、ときっと思ったはずだ。
もっと書きたかったはずだ。家族をそんな形で残したくはなかったはずだ。
花開きかけた新短歌も、挫折していた小説も、そして、
もっと新しい「思想」を書きたかったはずだ。
いと暗き
穴に心を吸はれゆくごとく思ひて
つかれて眠る
まれにある
この平なる心には
時計の鳴るおもしろく聴く
空気を入れ替えようと窓を開けると、寒い。
見沢ママから頂いた赤いスウェットの上下を着込む。見沢さん、あなたもそうだったんじゃ、
と、口に出しかける。
刑務所を出て、金があったら、体が治ったと思いますか。
金に余裕があったら、と。
啄木を開きながら、止まったままの腕時計をつける。
布団に入る前に外し、睡眠という止まった時間に潜り込む、いつも。
今日もあと数時間で、そうするだろう。
その今日は、稽古。週に一度の稽古。みんなの顔を見て、啄木ではなく、
その時は、寺山修司の歌を思いだした雨。
どうもいかん。雨が降ると思考がすべる。
昔っからだ。だから、時代小説を好んだんだ。稽古場には、衣装のクラモチさんが来られた。
クラモチさんは、クラモチさんだ。
なんのことはない。それだけだ、とあらためて思った。
人間のつかはぬ言葉
ひよつとして
われのみ知れるごとく思ふ日
人間のつかはぬ言葉
ひよつとして
われのみ知れるごとく思ふ日
脚本を書き始めるか。この雨があがったら。
『吉野作造集』【近代日本思想大系17】編集・解説/松尾尊 (497)
『宗教と現代がわかる本〈2009〉』著・編/渡邊直樹(325)
『人生は愉快だ』池田晶子(288)
『吉野作造集』【近代日本思想大系17】
編集・解説/松尾尊