●535●5月/11422●『世界教養全集25』

2009年5月31日 23:52:18

写真

稽古場から戻るといつも発熱する。
ろくでもない妄想にとり憑かれ、眉間の奥に痛みが走る。
どうも疲れやすい。

『名探偵コナン』を観るくらいの時間はあってもいいじゃないか。
と思いつつ、どこにもない。
(本を読む時間を減らせば、映画を観られるんじゃ)と、声がする。無視する。

ホッブズの「リヴァイアサン」を読んでいる。
言わんとすることはとても簡単に認識できている気がするのに、
とても難しく感じさせる論理展開。
いや、読みながら「簡単に認識できている」と思うことは、
もしや罠か? そう読ませつつ、実は他に主題が存在するのか? と思わせる。

(わかる。理解している。確かにそうだよな)

でも、この難解に読ませる何かは何だ。
読み方を間違っているのか? ホッブズにだまされているのか?

稽古場に向かう道は、大粒の雨。
腹をくくってバイクで向かったら、ずぶ濡れになった。
体や服が濡れるのはどうでもいい。乾く。
マシンと脳が濡れなきゃどうでもいい。
パソコンも人間もCPUは、水には弱いな、と思いながらバイクを走らせた。
帰り道、熱が出てるな、と思いながら、舞台のイメージが暴れまわる。

言葉を尽くしているか。
正しく稽古場の言葉が在るか。
ぼくの想念が言語化されることによって失われてはいないか。
一瞬で出来上がったテーマとイメージが言葉を声に出すことで失われてはいないか。

ちくしょう。どうにも疲れやすい。
熱が下がるだけの時間をここに、座って待つ。
本を開いて、ゆっくりと目を歩かせる。
「ぼくの読書」の速度ではない、亀の歩みで。

『世界教養全集25』

(535)
・「孤独な散歩者の夢想」著/J.J.ルソー_訳/大田不二
・「一粒の麦もし死なずば」著/A.ジイド_訳/堀口大學
・「水と原生林のあいだで」著/A.シュヴァイツァー_訳/和村光

それにしても、全集を一日一巻読んでいる。
平均500ページか。
朝起きて本を読み、合間合間に本を読み、移動中に本を読み、
休憩中に本を読み、読書の時間に本を読み、寝る前に本を読み、
睡眠中にふと目を醒まして本を読み、トイレに立ったときに本を読み、
朝起きて本を読む。

そうして、一日一巻。
こんなペースで読み続けることができればいいけれど、
稽古が佳境にはいると、こうもいかないだろう。

一日一巻。
5月は、ノルマを達成できた。