●549●『古事記』『母と息子の囚人狂時代』
2009年7月28日 22:37:47
形而上の話はやめてくれ! と、昨夜、私語する死霊に怒鳴りつけ、
「ケロロ軍曹」をゆっくりと読んだ。
夜な夜な現れては、耳元であることないことを囁く死霊は、
昨夜も、そうだった。
首を左右に振る扇風機を興味深く見つめていた彼らは、
その風力を計算し始め、首振りの角度を見極め、この部屋の広さを境界条件にし、
風の流れをあざ笑っていた。
そこまでは、まあいい。ぼくも楽しく付き合っていた。
けれども、そんな計算できる事柄で満足する彼らではない。それも知っていた。
「なあ、なんで風を望むんだ」
と、耳元で、始まった。
「あちーからだよ」
「そりゃ知ってる。聞いてんのは、なぜ涼しさを望むのかということだ」
「あちーより、すずしー方がなにかと都合がいいんだよ、この体は」
あまり相手にせずに適当に話をあわせていた。
そうしたら、私語する死霊のやつらはむきになり、
「そも、肉体にとって暑さとは何か」とやり始めた。
まったく、困ったやつらだ。
「うるせー! あちーったらあちーんだ!」
『古事記』梅原猛
(281)
『母と息子の囚人狂時代』見沢知廉
(268)
稽古場では、夜な夜な破廉恥な稽古が積み重ねられ、
あることないこと創造の果ての崖っぷち。
恐れることなく、意気揚々とその歩みを進める劇団員。
演劇に不可能なことなど何もない。と当たり前の定義を今さらながら繰り返し、
手を振り足を上げ、元気に突き進む。
天気は晴天、けれども目の前五里霧中。視界0、だが、0ゆえの∞。
手を振り足を上げ、陽気に歌い、突き進む。
生きている。
そう思う。
劇団再生の稽古場は、テロルのまさに、その現場だ。