●1348●『唐獅子株式会社』『昭和文壇側面史』『古典への案内』『歌舞伎にすと入門』
2009年9月23日 22:43:56
ノルマを決めて読書をしている。
すこしきつめのノルマを課さないと、こんな性格だ、きっと怠けて読まなくなる。
昨年のノルマは、年間500冊。月に40冊強。一日一冊半くらいのノルマ。
相当疲れた。強迫観念で本を読んだ。
ノルマがやばくなると早朝読書。眠くなるとペンを太ももに突き刺しながら読んだ。
あちこちの会合を断って、不義理を重ねながらも本を読んだ。
そうしなければ、無理だった。
今年のノルマは、月に10000ページ。年間12万ページ。
上半期、昨年と同じようにノルマに追われた。強迫観念があった。
ノルマを達成しなければ神罰がくだる。天罰だ、と。
今日、ふと、
そんな強迫観念がないことに気が付いた。
この2週間、随分と本を読んだ。それは、ノルマへの恐怖でもなく、
読書をしないという罪を犯す自己嫌悪でもなく、自然に本を読んでいた。
少し時間があった、ということもあるだろう。
それにしても、
自分が自然にページをめくっていることに、ふと気が付き、少し嬉しくなった。
今月は何ページ読んだだろう。月末までにあと何ページ読まなきゃいけないんだ、と
考えずに、本を読むことが嬉しく、楽しく、幸せを感じていた。
そんな気がする。
先人の智慧が思想が思考が事実が歴史が、ぼくを否定し続ける。
立ち向かっても立ち向かっても、こなごなに打ち砕かれる。なんという快感。
ぼくはぼくだと言い切りたい、そう思い、あらゆる思想を吸収しようとし、
ぼくはぼくだと言い切りたい、そのために考える糧を得たいと本を読み、
ぼくはぼくだと言い切りたい、だから他者の存在を感じようと本を読み、
でも、そんなこと、どうでもいい気がしてきた。
ぼくはぼくだと言い切りたい、それに変わりはない。
変わりはないけれども、どうでもいい。そんな気がする。
少しずつ少しずつ死に向かって歩き、少しずつ少しずつ生を終えようと歩き、
誰もがそうで、みんなそうで、
そんなぼちぼちと歩く中で、ぼくはぼちぼちと景色を楽しみ、
その景色の中からぼくだけの言葉をいくつか手に入れた。
その一言一言がぼくの証明なのかもしれない。
がむしゃらに本を読むことで証明しようとしたぼくという命題は、
或いは、ぼちぼち歩く景色の中にその証明があったのかもしれない。あるのかもしれない。
案外に今、自然に、こうして、ぼくは居る。
とはいえ、やっぱり本を読む。
『唐獅子株式会社』小林信彦
(497)
『昭和文壇側面史』浅見淵
(394)
『古典への案内』田中美知太郎
(217)
『歌舞伎にすと入門』辻和子
(240)