●193●『日本の品格』鈴木邦男

2009年11月29日 21:12:56

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鈴木邦男さんの新著が発売された。
ポストに届いたその一冊『日本の品格』

楽しみにしていた。一気に読み終えた。読み終えてすぐに鈴木さんに感想を送った。

今ここに感想を書こうと思っていたのだけれども、
浮かび上がってくる言葉が激烈すぎる。
いや、違うな、激烈な言葉が生まれてくるのは、ぼくの思考がストレートすぎるからか。

鈴木邦男の総決算。

具体的な言葉を選び書くとすれば必ず、冗長になってしまう。
鈴木邦男の新たな地点。
鈴木さんには、読了後すぐに感じたままを送った。

晩秋、いや初冬か。
読み終えて、澄んだ空を見た。

具体的な感想は、「鈴木邦男の質量」であらためて書こう。

『日本の品格』鈴木邦男

(193)

脚本を書いている。
これまでに感じたことのない衝動に突き動かされながら書いている。
自分の中で何かが変わったとは思わない。
そうは思わないのに、これまでとは全然違う動機の上に立っている自分を感じる。
確かに脚本を書くということの動機付けが明らかに違う。
自分の中で何かが変わったとは思わないのに、明らかに違う。

その心の在り様が面白い。
冷静にその在り様を観察している。

何を書く事が脚本を書くことだろう。
長年つきまとっているその疑問にようやく答えることができそうだ。
何時間も横たわりながらその疑問に答えてみた。
答えてみたら、もっと難しそうな疑問が首をもたげてきた。
なるほど、

そうきたか。

ぼくは、脚本を書いてきた。
今も、こうして書いている。毎日毎日、こつこつと書いている。
書きあがった原稿用紙の束には何の感慨もない。
モニタやプリンタよりも、CPUに興味を感じているからだろう。

出力よりも、入力。
入力よりも、処理。

鈴木さんの本には、その処理をあからさまにしている。
その処理をそのまま出力できるのは、勇気だ。
そして、やさしさだ。

ぼくには、それが、できない。
できないから、脚本というカテゴリの力を借りている。
それだけだ。

先週、しばらく自分を留守にしようとしたけれども、
その留守中にであったのは、みんな、みんな、自分だった。