『ロボットは涙を流すか』『明日をどこまで計算できるか?』『日本文化のキーワード』『ギョッとする江戸の絵画』『日本語は亡びない』
2010年5月20日 18:21:54
本を読むこと、それを「読書」と名付け、慣用的にそう使用するならば、
「読書」とは何か、ということを考えてきた。
この「高木ごっこ」でも、これまでの様々な仮説を提示し、その証明に挑んできた。
もう、何年もそんなことを考えてきた。
その時々でいろんな解を出してみたりもした。
「読書」とは、何か。
先日、その「読書」に関してのトークセッションに参加してきた。
司会は、中川文人さん。
鈴木さんの新刊『鈴木邦男の読書術』をテキストにトークセッションは展開された。
登壇者は、ご本人鈴木邦男さん、森達也さん、斉藤貴男さん。
三時間のトーク。「読書」というテーマで、登壇の4人は、二つの立場。
ノルマを決めて本を読んでます、が、鈴木さんとぼく。
本? ほとんど読まないですね。漫画読みます・・・が、森さんと斎藤さん。
それだけでも面白い対照だった。
このトークに関してはあらためて。
毎日本を読んでいる。読まない日は、ない。
時間を決めて読んでいる。睡眠時間を削って読んでいる。
そうしないと、なかなかノルマは達成できない。
「読書」とは、何か。今もそれを考えている。
考えることなく、淡々と本を読めばいいのかもしれないけど、
性分か、どうしてもその意味を考えてしまう。「読書」とは、何か。それを知りたいと、
どうしても考えてしまう。
『ロボットは涙を流すか』石黒浩・池谷瑠絵
『明日をどこまで計算できるか?』デイヴィッド・オレル
『日本文化のキーワード』栗田勇
『ギョッとする江戸の絵画』辻惟雄
『日本語は亡びない』金谷武洋
トークでも、「並読」というキーワードがあがった。
自分も、そうしている。大体、3冊から4冊、並行して読んでいる。
鈴木さんが30年前から説いているように、難解な思想書・哲学書ばかりだと嫌になる。
難しくて嫌になる。読むこと自体が嫌になる。
そんなとき、すぐに本を持ちかえる。集中力の分散だ。「読書」に対する集中が途切れはしない。
それを分散している。
どんな本を並行するか。
上掲した5冊のような感じの本だ。読みやすい。どんどん読める。
そして後は、小説だ。物語ものを手にしたり。
並行して読んでいると頭の中のひろがりを実感する。
それを実感しながら、本を読む。
世界中の本を読みたいと思う。やっぱりそう思う。
それが不可能かどうか、それはわからない。
論理的には不可能かもしれない。けれども、やっぱり、そう思う。