『遺魂(ゆいこん)』鈴木邦男
2010年10月8日 21:19:27
鈴木さんの新刊が発売された。
出るのは知っていた。この日を楽しみにしていた。
手にした感触がよかった。感触のいい本は、内容もいいもんだ。経験則だ。
劇団再生でいつもお世話になっている高橋あづささんが編集に携わっている。
企画制作は、椎野礼仁さんだ。
タイトルは、
『遺魂(ゆいこん)』
サブタイトルに、
三島由紀夫と野村秋介の奇跡
とある。
推薦の辞は、作家の宮崎学氏が書かれている。
『三島に〈取り遺された者たち〉への哀惜が、
本書には詰まっている。
もちろん著者もその一人だ。
そして日本人のみんなが、
三島が突きつけた「死に様」=言論と
行動の倫理に呪縛されたままだ。』
そして、
三島由紀夫没後40年
風化しない三島の魂と「生きざま」
「三島事件」が突きつけた
戦後日本の精神史
と帯にある。
そうか、40年か。
『あの日』から40年。ぼくは3歳。何の記憶もない。
だから自分を重ねてのノスタルジは、まったくない。感傷も寂寥もない。
あるのは、こうして『あの日』を思い続ける、
今も厳と生きている生者たちの生き様だ。
先日出版された中川右介氏の『昭和45年11月25日―三島由紀夫自決、日本が受けた衝撃』を読んだばかりだ。
10月か。数週間後は、野村さんの命日だ。
そういえば先日、
季刊誌『大吼』に「心に残る一冊の本」という拙文を書かせていただいた。
ぼくは、野村さんの本をあげた。おこがましくも、取り上げさせていただいた。
来月は11月。あと一か月と少し。
今年も『あの日』がやってくる。
鈴木さんが、『月刊TIMES』に6年間にわって連載してきたものを
新編集でまとめられたのが、本書だ。
素晴らしい編集になっている。
連載を読んでいた印象とは、打って変わって違った顔を見せる本になっている。
編集者の礼仁さんと高橋さんは、さぞ大変だっただろう。
コンセプトがはっきりし、硬質でストイック、シャープであり、
あたたかく、優しい、そんな形容が近い編集だ。
第1章・三島の自決とは何だったのか
第2章・三島は何を考えていたか
第3章・三島に魅せられた人々
第4章・野村秋介の素顔
第5章・知られざる深層
そんな章立てだ。
各章には、4編から5編の論考がある。
一気に読んだ。面白くて、休まずに読んだ。
鈴木さんも、あとがきで書いているが、本当にたくさんの資料をもとに
精緻に描かれている。
三島由紀夫・野村秋介を研究していく中での、一つの底本になるだろう。
定本、と言い切ってもいいかもしれない。
『あの日』の真実。
それは、『あの日』以外には知りようがない。
けれども、
ぼくたちは、生者だ。
死んじゃいない。生きている。
鈴木さんは、そのことを書こうとしたんじゃないかと思う。
三島さんは死んだ。
野村さんも死んだ。
でも、ぼくは生きている。
罪や生活や哀惜や後悔や寂しさやなんだかんだ一切合財、
なにもかもひっくるめて、生きている。
そんな鈴木さんの声が聞こえてきた。