『GOSICKV-ゴシック・ベルゼブブの頭蓋』『GOSICKsII―ゴシックエス・夏から遠ざかる列車』『なぜ絵版師に頼まなかったのか』『虚栄の肖像』『メビウス・レター』『狂乱廿四孝』『身体能力を高める「和の所作」』
2010年10月28日 21:57:27
もう少し体重を増やそうと毎日ちゃんと食べているのに太る気配がない。
じりじりと体重が落ちる。こんなに食べてるのに。
稽古の時間しか集中していられない。2時間が限度。困ったもんだ。
全集を読めるほどの体力が持たない。ジャンクなものばかり読んでいる。
頼まれている原稿を書こうとするのだが、どうにもまとまらない。
プロットも全体像も見えているのに書く気が起こらない。
月末がそこじゃないか。締切がそこじゃないか。書かなきゃなと思うも、頭が動かん。
依頼されている文量なんか書き始めれば数時間で書けるのに、その時間がとれない。
ジャンクな書物に手が伸びる。推理物が最適だ。それにしてもわかりやすい。
犯人もトリックもすぐにわかってしまう。わかってしまったら面白くもないが、読む。
稽古から帰宅したらコトバがご機嫌斜め。怒っているのか、苛立っているのか。
どうした、と頭をつつくと「ぎゃう!」と叫んで攻撃してきた。
見えている画がある。もう言葉なんか使いたくないんだ。
言葉があるから画ができない。けれども言葉を使わなければ画もできない。
どうしてそんな矛盾に挑んでるんだろう。楽しいからか? そんなことはない。
やりがいがあるか? そんなこととも違う。それしか方法がないから?
そうなのか?
本当にその矛盾を抱え込むことしか方法がないのだろうか。
その問いに対してぼくは、一つの反証仮説をもっている。
多分、いずれ実証できるだろうとも思っているが、そのためには現実の時間を破壊するしかない。
論理的な仮説だが、多分実証的に証明できるだろう。それも『演劇』という死語のもとにだ。
ようやく具体的な場所を言葉にできるようになった。
嫌悪すれども言葉にすれば安心もする。
その次は、その「嫌悪すれども安心する」ということを越えねばならない。
だが、それは、矛盾という概念と観念を実証してからだ。
まったく、時間がかかるな。まあいいさ。ぼくは行く。行くしかないんだ。
理解者? そんな観念、とうの昔に捨ててきた。若気の至りだ。赤面するばかり。
唯一者。そんな言葉もこの高い木の上じゃ空疎に聞こえる。
もう少し体重がほしいと稽古を終えて、カロリーを摂る。
計算しながら無理矢理にカロリーを摂る。でもなんでか太らない。じりじりと減っていく。
体力と集中力が比例しているのはわかっている。
どちらも嫌いな言葉だが、事実、そうだ。
ぼくは、ぼくが手に入れた言葉以外全て、嫌いだ。
はっきりとそう言える。人のものを好んで使うような破廉恥漢でもない。
ぼくは、ぼくが手に入れた言葉だけを連れて行く。
ぼくは、ぼくが手に入れた言葉だけとそこに行く。