天皇ごっこ

2011年1月26日 18:23:59

写真

見沢知廉、という一つのフィールド。

ぼくは、ずっと見沢さんを追い続けてきた。
追い抜こうなんて思いもしない。追い抜けるはずもない。
見沢さんは、死んでしまった。

2005年9月7日の喪失。見沢さんはいろんなものを遺して死んだ。
ぼくは、見沢さんを書き続けてきた。上演してきた。
見沢さんは、『天皇ごっこ』という謎の一言を残して死んだ。

ついにその謎を自ら語ることなく、死んだ。
「ごっこ」と名付けた真の意味。
見沢さんの最大で最後のそして、ただ一つとも言える謎。

(この意味がわかるか?)

ぼくは、『天皇ごっこ』を書店で手にしたときに、
そう問いかけられていることを感じた。そして、その謎解きに挑んできた。

高木さんは、何故見沢作品を上演しているのですか?

そう聞かれることが多い。
何故か。そこに問われるべき意味があるからだ。
こんな退屈な場所だ。謎解きこそが思考を加速させてくれる。

ぼくは、

見沢さんのその問い『「ごっこ」と名付けた意味は何か?』に
ようやく答えることができた。
答えることができたのだから、上演もしよう。
演劇に限らず、なんらかの手段でそれを発しよう。実は、

この高木ごっこにもその答えを書いてきたのだけれども、
気付いた人はいるだろうか。

見沢さん、ぼくは答えられますよ。
見沢さんは、最後までその答えを語りませんでしたね。
何故、語らなかったのかも手に取るようにわかりますよ。

それに答え、それを上演することは、大きな危険を孕んでいるかもしれませんね。
でも、まあ、やりますか。

ぼくは、それを言葉にすることができるのですから。

見沢さんが死んだ。
今年は七回忌。

上演するとすれば、脚本は書きようがない。
稽古場でぼくが語ることをそのまま舞台化するしかない。
とはいえ、それでは「作品」としてはあんまりだ。

降りて書くしかないか。
それも退屈だが仕方ない。

見沢さん、ちょっと恥ずかしいでしょ。
あなたが問うたその問いに答えますよ。