『斜陽』『人間失格』『ヴィヨンの妻』『お伽草紙』『女生徒』『晩年』『グッド・バイ』『ろまん燈籠』『走れメロス』『惜別』『きりぎりす』『砂の女』『他人の顔』『燃えつきた地図』『新・言論の覚悟』『奇岩城』『恐怖の谷』『四つの署名』『さよならドビュッシー』『おやすみラフマニノフ』
2011年9月17日 23:17:28
一本の舞台を終えた。
本番中にも頑張って本を読んだ。
太宰治月間だ、と決めて、新潮文庫を読み続けていた。
本番中の疲労は何かに例えられるようなものではない。
睡眠不足でもちろん肉体的な疲労もある。
それ以上になんだかんだと気苦労もある。
こうして舞台を終えてしまえばなんてことないけれども、
劇場に入っている間は、次から次に情報がインプットされ、
計算する間をまたずアウトプットを求められる。
それが仕事だと言えばそうなんだけど、
そして、これまでに何度も経験してきたことと言えばそうなんだけど、
あの疲労は他の何かに例えられるものではない。
そんな疲労の中で真夜中近くに劇場から帰宅する。
さっさとシャワーを浴びて、ひっくり返りたい。体がそう叫んでいる。
でも、頭は案外にクリアだ。翌日の舞台を思っている。
やることはやってしまおう、とシャワーを浴び、メールをチェックし、
判断と決断を下し、翌日の準備をし、目覚ましをセットし、
コーヒーを淹れて、たばこをつける。
何時間眠れるか、ということは些末な問題だ。
眠ることよりも、ぼくがぼくであることが大切なんだ、と強く思う。
いつも以上に強く思う。
劇場に入っているからと言って、読書をさぼったら、
そも舞台をやる資格がない、ということだ。何かを発表する資格がないということだ。
ノルマがあるなら読む。いや、ノルマ以前に本を読むことがぼくであるならば、
と、恐怖するほどの疲労と戦いながら本を読んだ。
こんなに疲れているときは、ジャンクな本を選びがちだけど、経験上それはNO。
ジャンクな本は、読みやすいけれども、眠ってしまいやすい。
だから、太宰治月間にした。
太宰を読もう。誰かに何かを語るためではなく、ぼく自身にぼくが太宰論を語れるように。
一日一冊太宰を読もう。
人が決めたことを守らないことはどうでもいい。ぼくも守らない。
でも、自分が決めたことを守らないのは、嫌いだ。唾棄する。見下す。
守れないなら、自分で決めなければいい。守れないなら、誰かに決めてもらえばいい。
本番中、ぼくは太宰といた。文学といた。優しさといた。技巧といた。
恐るべき文学の美しさとともにいた。太宰のあの美学とともにいた。
太宰を読むことができる幸せを感じながら、眠った。