『悪夢の身代金』『爆ぜるゲームメイカー』『修身教授録』『福島 飯舘村の四季』『到来する共同体』『不合理ゆえに吾信ず』『未完のファシズム』『人物ロシア革命史』
2012年10月15日 22:38:30
天啓、というものを信じてみようと、作品を創った。
もちろん、まだ、頭の中でだけだ。
信じてみよう、という行為は、その対象がどうにも信じがたいが故の能動であり、
どうにも信じがたいその画は、なぜか、今も、ここにある。
天啓、というものがある。それを信じる。その対象を信じる。
今は、
まだ、
一か八か、という感覚しかないが、
とはいえ、だ。
一本の作品に、一か八かもないもんだ。
一か八か、と発語した瞬間に、実は、その作品は、死んでいる。
故に、論理的には、天啓されたこの作品は、すでに過去のものなんだ。
まあ、一か八か発言は、冗談だ。
そんな態度で作品を創るようなまねはしない。
何に対して一か八か。分かりきったこと。恥ずかしくて言えないが。
ということで、作品に、とりかかった。
頭の中にもくもくと湧き上がってくる。久しぶりの感覚。
全部書きおろしてみようか。ぼくの言葉で書いてみようか。
楽しみだ。
どんな楽しみか。(知らんぞ。どうなっても!)的な楽しみ。
楽しみだ。