『悪夢機械』『燃える男』『二十歳の原点』『塵中に人あり―右翼・任侠・浪漫』『パウル・ツェラン詩文集』『孤島の鬼』『知の逆転』『もうダマされないための「科学」講義』
2013年3月24日 23:38:55
目の回るようなバカげた忙しさは山を越えた感があるが、それでも次から次に日が詰まる。
仕事は仕事で予定通り締め切りをこなしているのだが、いかんせん脚本が進まん。
原稿用紙でもう80枚近く書いているので、いいところまで物語は進んでいてもいいはずだが、
何故か、どうにもまだまだ前半の気がしている。
緻密なプロットを組んだり、相関図を組み立てたり、正確な地図を作ってはいない。
今回に限ってそんな作業を一切せずに直接書き始めた。それが裏目にでたのか?
とはいえ、だ。そんな方法を手放すことが今回の作品の大きな主題でもあったのだから、
今更それを云々したところで始まらない。
おかしいなぁ、と思って、書いたところを読み直してみる。
おかしくはなかった。書いたものの半分以上がト書きだった。んー、困った。
ト書き、と一口に言うが、実際的にはどうもト書きではないようだ。
これまで、いろいろな手法を駆使し、ト書きという文化に挑戦してきたけれども、
そんなこれまでの挑戦がようやくこの身になってきたようだ。
真のト書きは、これだ! と実証するト書きだった。自然に筆が動いたということは、
この身になったということだろう。そこいらにあるト書きとは一線を画す真のト書きが、これだ。
五月には、この作品も約束通り発表されるだろう。
その時、観客の目に、耳に、心に、映るのは何だろうか。
脚本に書かれているセリフだろうか、照準された効果だろうか、俳優の目だろうか。
望むなら、それは、一切語られることのない、このト書きであってほしい。
そして、それが、この作品の完成の姿なんだ。