『ライプニッツ』【人類の知的遺産38】
2015年12月16日 15:58:06
『人類の知的遺産』全80巻
2007年から、鈴木邦男さんのご指導をいただき、全集読みに取り組んでいる。
「戦後日本思想体系」全16巻、「現代日本思想体系」全35巻、「近代日本思想体系」全35巻、
「世界思想教養全集」全24巻、「世界教養全集」全38巻、「世界の名著」全81巻、
そして今取り組んでいるのが、「人類の知的遺産」全80巻だ。
その他に、「生命の実相」全40巻、「人間の運命」全16巻、「人生劇場」全11巻、「徳川家康」全26巻など、薦められるままに読み進めてきた。
現在取り組んでいる「人類の知的遺産」が、実はなかなか進まない。
同じようなラインナップの「世界の名著」に比べて、どうにも面白みが少ないのだ。
面白みについては、また後日。
ライプニッツと寺山修司
多くの人がその名前は知っているだろう。
けれども、具体的に何をした人なのかを説明できる人は少ないのではないだろうか。
ライプニッツは、1646年にライプチヒに生まれた。ライプチヒは、当時は神聖ローマ帝国の一部。
でもまあ、ライプニッツは、ドイツ生まれ、でいいだろう。当時のヨーロッパの枠組みはどうにもややこしい。ドイツが生んだ大哲学者だ。ドイツ哲学の父、なんて言われたりもする。
ドイツ人思想家で言えば、ライプニッツ以前にもベーメやルターという巨人がいるが、
哲学や思想というものを包括的且つ体系的に構築したのはライプニッツの仕事だ。その後のドイツ哲学は、多かれ少なかれライプニッツの影響を受けてきたと言えるだろう。
日本の演劇界における寺山さんみたいな感じだろうか。
寺山さんを日本のライプニッツだとの言い切りに関しては、またやいやい言う人も出てくるだろうが、
数十年演劇という表現方法や書くという運動に身を置いてきた、その実感から、そう言い切りたいのだ。
さて、ライプニッツだが、よくできる子供だったようだ。
子供の頃にラテン語を自由に操り、ギリシャ語もできたようだ。
13歳で論理学を専攻し、15歳にして、哲学と神学をおさめようとする。ほんとにできた子供だったのだ。
そんなライプニッツはどんなことを成し遂げたのか。
哲学者として、「予定調和」と「モナドの理説」が有名だ。数学者としては、「微分法」の発見。
実は、
というほどのことでもないが、ぼくは寺山さんと共にライプニッツに大きな影響を受けたんだ。
作品を作る上で。
創作におけるライプニッツ的普遍
ライプニッツの普遍論や予定調和といったのを初めて読んだのは、もう20年以上も前だろう。
そのときに思ったんだ。
作曲をし、録音をして一曲を仕上げることも、一本の脚本を書くことも、
音響家として二時間の舞台をまとめることも、生活における1日という単位を認識することも、
ライプニッツがいうように常に普遍に向かう運動体のひとつの運動である、と。
その考え方は、
「再生」という一つの作品創作団体における作品創りにおいても、
基礎的な思考として利用しないということは、決してない。いつもそこに立ち返るのだ。
ライプニッツは様々な著作で、調和の原理をいろいろな仕方で説明している。
調和は可能な限り最大の本質であり、それは即ち完全性が存在すべきことの要求に基づく。
と、一言簡単にライプニッツを定義してみる。それは、当然逆の観念を包含している。
混沌は可能な限り最大の本質であり、それは即ち不完全性が存在すべきことの要求に基づく。
という創作的読み方ができる。というか、それを読むことが読書なのだ。
そのことはライプニッツも補完している。
ざっとまとめてみると、
或るものが存在することには、存在せぬことにより、肯定には否定により、より以上の完全性が存在する。
その調和の原理は、一つの本質を孤として考察すべきでなく、
常に事物の全体について考察すべきことを要求する。
演劇という創作表現においてもそうなのだ。
完全な場面を創ってはならない。
同時にその場面は不完全であってはならない。
一つの場面が、完全であったり、また同時に不完全であった時点でその作品の本質は永遠に失われてしまう。
完全が許されない。不完全も許されない。それが、「再生」の創作原理なのだ。
完全且つ不完全であるという「再生」原理は、
現時点では誰一人決して見ることができない、やがて在るものに結合された全体を構成する。
拡大解釈に過ぎる! という意見はさておき、こうして読書の楽しみは深化していくのだ。