『カント』【人類の知的遺産43】
2016年2月25日 23:57:06
難解だけど、避けては通れないんだよな
さあ、今回も巨人です。カント!
近代哲学の一つの頂点でしょう。『純粋理性批判』、『実践理性批判』、『判断力批判』という三大批判書のカントです。なんというか、その頂点というのは、カントが示した原理のあまりの深さによるんだろうな、と。
読んでいて、少しでも理解できたら、みんなきっと、こう思うでしょう。
理解したけど、カントさん、なんでこんなに難しく書いちゃった?
真善美、という三大命題
ところで、「批判」というのは、言葉通りの批判でがなく、分析という感じだろうか。もちろん、言葉通りの批判という側面もあるけれども、もちろん悪意があるわけではない。カント以前の哲学、特にデカルトに対しての「批判」が大きな比重を占めているのだが、それもこれもカント自身の原理を積み重ねるため。
さて、『純粋理性批判』で扱っているのは、「真」。
これは、私たちにとって正しい認識とはなにか、ということと、それを獲得するにはどう考えたらいいか、ということをひたすら説いている訳なのです。難しく難しく・・・
次の『実践理性批判』では、「善」を考えます。
「善」というのは、道徳を考えることです。道徳の本質。当時の道徳基準はキリスト教。でも、カントはキリスト教ベースによる判断ではなく、キリスト教を信じない人や反対する人にも道徳の真理に到達できると考えたのです。これは、画期的なことだと思うのです。祈りではなく理性で道徳の最高の高みに達する、ということ。
もう一つは、『判断力批判』。
ぼくは、これが一番好きです。わかりやすい感じがするのです。扱っているのは、「美」!
美と想像力。芸術、神の現存、道徳的原理、至上の目的。テーマはとても興味深いのに、いかんせん難しい。翻訳といこともあるだろうが、もう少しわかりやすく書けんもんかな、と思うのです。
なんにせよ、カントは一つの頂点だと。
デカルトに対する分析は新しい思考の時代を切り開く鋭利なナイフ。デカルトは、アリストテレスの主語実体論を踏襲してるのですが、カントは、一本のナイフで主語と述語を切り開き、ミクロに分析をするのです。この辺は本当に面白い。述語中心の日本語と主語絶対の西欧言語。その決定的な言語における差異を改めて感覚できます。