『バクーニン』【人類の知的遺産49】

2016年4月22日 23:29:04

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ついにきました! バクーニン!

待ちに待った一巻。

バクーニンの生涯はこれまでいろんな本で読んできたけれども、本当に波乱万丈のドキドキはらはら。これが小説だとしたら、書いた作家の想像力に驚嘆するだろう。

バクーニンの生涯は、ネトラウやコルニーロフをはじめ、たくさんの史家や作家がモノにしているし、日本でも多くの解説があるが、白眉といえば、カーの『バクーニン』だ。

バクーニンといえば、ドストエフスキーを思う

ドストエフスキーのあの大審問官だ。歴史に燦然と輝くあの大審問官。あれほどの物語をぼくは他には知らない。大審問官を読めば、やはりバクーニンが顔を覗かせる。神を拒否するニヒリストが辿る精神の彷徨ドラマ。ドストエフスキーは、バクーニンの無神論を常に頭にあったはずだ。そして、人間の自由という概念を深々度の場所で論考したとも読める大審問官だが、その点においてもドストエフスキーとバクーニンは火花を散らしたように感じられる。

そうか、自由の概念という文脈で言うなら、バクーニン対キルケゴールか。

アダムとイブの話から自由の概念を読む

バクーニンは、この説話を、神の専制主義に対するアダムとイブの反逆をもって自由へいたる人類の第一歩だと評価している。一方、同時代人のキルケゴールは、「自由というものが甘美なものであると同時に限りない不安の根源となる」としている。自由は、明るい善なる世界と同時に悪なる暗黒を生み出すものであり、その自由は、不気味な虚無と無明の深淵に面しているのだ。

それにしても、ドストエフスキーの大審問官の凄さはどうだ!

あらためてバクーニンを読んでみると、ドストエフスキーの魂の闘いの壮絶さがわかるというものだ。