たちのぼる煙を見ている
2016年8月18日 20:17:06
言葉が言葉である理由を知りたいとは思わないのか
空がどこにあるのか、それを知りたいと思わないか
なぜぼくたちは言葉を使っているのか、それを知りたいと思わないのか
なぜ空を見るのか、それを知りたいと思わないのか
きっと、
それよりも大切なことがあるんだろう
どうすれば毎日楽しく暮らせるか
どうすれば今の仕事がうまくいくか
どうすればいい人と出会えるか
どうすれば楽ができるかお金が儲かるか得するか
ここは、高すぎるのだろうか
或いは低すぎるのか
長い間、脚本を書いてきた
長い間、一つの方法としての表現に携わってきた
物事を正確に伝えようとすればするほど、言葉自身がそれを裏切る、ということを書きながら知った
個人を、きちんと伝えることは不可能だという事は創りながら知った
けれども、伝えたい、と思ってしまうのだ
中二病をこじらせたか
だが、それを
絶望という言葉で呟くならば、ぼくは間違ってはいない
きっと
あなたは、ぼくではない
けれども、ぼくは、あなただ
みんな自分の歩きたい道をゆけばいいのだ
人の顔色を伺うこともない
勝手にいってくれ
勝手にやってくれ
誰もあなたを強制なんかしてないだろ
なのに、そんな被害者面はやめてくれ
安っぽいヒロイズム
苦笑し呆れ、嫌悪する
空
ぼくには、見たくないそれを見るようにあなたに強制する力は、ない
興味がなければ、見る必要もない
生涯、それに関わらずに生きていけばいいだけの話だ
ぼくは空を見続けている
生活を見たくない
感情を見たくない
弱さや強さや良いや悪いやそんな素人くさい天秤なんか見たくない
目の奥の痛みはそれが原因だ
見たくもないものを見ることがそもそもの原因
そんなこと100年も前からわかっている
創るという事は、幻想を追求する方向を徹底するしか方法はないはずなのに
なぜそこに他者と言う概念が紛れ込むのだろうか
他者が、だ、そんなに、必要なのか
煙草一本の時間
たちのぼる煙
愛おしく、泣けてくる