何もかも終わっていく ゆっくりと
2017年12月23日 09:57:51
たくさんの人に出会ってきた。
それはもうほんとにたくさんの人だ。
ほんの数秒間。小さな会釈と「あ、どうも、こんにちは、はじめまして」という一言がその後に大きな変化を与えたことはたくさんある。
やっぱり、それを不思議だな、と思うのだ。いいとか、悪いとかではない。あれはいったいなんなんだろう、と。
お墓にお参りする。
もう何年も十何年も同じ場所に。毎月のように。こうなりゃ意地だ、と、先月お参りできなかったから、今月は二回ね! という生者の都合のよい勝手。死んだら終わりですよ。何もかも。あとは生きてる者が勝手にやるだろ。都合のいいわがまま特権。
もう何年も十何年も同じ場所に。毎月毎月。
この墓石の前でたくさんのものと出会った。ここで出会ったたくさんの言葉は作品の中で使ってきた。言葉の中で生まれ、言葉の中で死ぬ。そうした当たり前をここが教えてくれた。ゆっくりと。
生まれた言葉はいつの間にか、
わがままな生者の都合の良さに飲み込まれ、そもそもの出会いの輝きを失っていく。パッション。フレッシュなパッション。言葉の持つ大きな輝き。もう一度出会えるだろうか。出会いがあれば別れがある、と人は言う。出会いと別れが等価であるならば、バランスは保たれるはずだろう。なのに、そんなことは全くもって全然ない。あの輝きに出会うためなら、全てと別れてもいい。あの出会いと今を引き換えにしてもいい。
ぼくが、言葉の中で生まれ、言葉の中でしか生きられず、そして、言葉の中に死んでいくとしたら、仕方ないじゃないか。
誰もがそうだとしたら、仕方ないじゃないか。
多分、きっと、みんな、それとの引換券を持っているんだ。生きていくうちに、世界を見ているうちに、毎日に埋没していくうちに、貯めるだけ貯めたその引換券を何と交換していいのか、何と交換できるのかわからなくなっていくんだ。ゆっくりと。
たくさんの出会いの中で。