空っぽの止まり木で
2018年2月9日 11:53:52
冗談じゃねーや
ずっと、ずっと、言葉持ちになりたかったんだ。
そのために、ただ信じようとしてきた。ただ、時間がかかる。
ただ、ただ、時間がかかる。人の一生なんかじゃ足りないのかもしれない。
だから、「作品」があるんだ、っていう人もいる。
大浦信行監督の作品を目の前に見ながら、ずっとそんなことを考えている。
言葉の中で生まれ、
言葉の中でしか生きられず、
言葉の中に死んでいく。
「無限に対しては虚無であり、虚無に対してはすべてであり、無とすべてとの中間」
(パスカル「パンセ」)
それこそが言葉屋の本体なんだろうと目算を立てて、それを信じて、作品を創ってきた気がする。
信じることだけが作品を創る方法だと信じてきた。
信じることだけでこのおんぼろの肉体を動かしてきた。
目の前の一枚の版画。大浦信行監督の作品。
(芸術は時間を閉じ込めるものだ、という誰かの言葉が痛いほどにわかる)
この版画に閉じ込められ、けれども動き続けている時間。
数万年をたった一秒で感じられる、それが芸術だ。
目を移すと空っぽの止まり木。
ただいま、ドアを開けて、今もお前を探す。
空っぽの止まり木。
今日は、そこに洗濯物を干しているけど、お前を探す。
冗談じゃねーや
テメェら家付きメシ付きの一生を人生だと思ってんだろ?
そんな保険のお陰でこの女が自分の女か他人の女か見分けもつかねぇようになってんだよ、
テメェらに出来るのは長生きだけだ、クソ垂れて我慢して生きてるだけだ勝って帰ったら、ケツでも触ってやるか
と、口癖のように呟いて、
ドサ健の真似をして粋がってみる夜
いろんな人生があって、
いろんな言葉があって、
いろんな出会いがあって、
いろんな毎日があって、
まったくもー、冗談じゃねーや