『本を読む本』原著/モーティマー・J. アドラー_著/C.V. ドーレン_訳/外山 滋比古・槇 未知子
2007年12月11日 23:26:14
『死に至る病』という一冊がある。
キェルケゴールの有名な著作。
哲学書、というカテゴリにはいるでしょう。
『死に至る病』
キェルケゴールは、それを『絶望』と呼び、
絶望に陥っていく人間、
そこに落ちた人間の奥深くに入り込み、
絶望を感じる人間の心のひだを一枚一枚広げ、
検証していく。
キェルケゴールの絶望。
原書では、どういうニュアンスなのかわからないけれども、
日本語では、もっと違う言い方があるのではないかと、
思える。
本作は、絶望と死を扱った哲学書、というよりも
その後連綿と思考されつづける
実存主義哲学への扉を開いた功績のほうが、
凄い。
さて、自宅最寄駅から、数駅先のターミナル駅まで、
10分。
電車に乗る時に、
鞄の中に一冊の本がない、
と、気がついたときの絶望・・・
それこそが絶望の本質だ、と、気がついた。
たった10分。
それが耐えられない。
死に至る・・・
ということで、まさに今日、その絶望的な体験をし、
改札を一旦出て、
駅前の書店で目に付いた本を買ったのでした。
『本を読む本』
原著/モーティマー・J. アドラー
著/C.V. ドーレン
訳/外山滋比古・槇未知子
予定の時間には間に合うことを確認し、
あらためて改札を通る。
本書を開き、
ターミナルに着くまでの10分間を、読む。
どんな本か。
タイトル通りと言えば、その通りなんだけど、
本の読み方を丁寧に解説している。
レベルを数段階に分けて、初級から上級までなんだけど、
なんというか・・・
(・・・今更・・・)
1940年に発売されて、
各国語に翻訳されて、
世界中で売れ続けているらしい本書。
でもなあ・・・
行きの10分では、やはりとても読み終えることはなく、
あちこちの隙間の時間と、帰り道で、読了。
レベルが1から4まで設定してあるけれど、
例えばレベル1が、字を覚えていく小学生くらいから。
で、2が中学から高校。テーマとかモチーフとか。
で、3が高校から大学。テーマへの疑問とか自身への置き換え。
で、4が(本書によれば)大学院らしい・・・
(えっ・・・・)
となるわけですよ。
だって、本書に説明されている読み方とか捉え方とか、
その技術とか、思考の道筋とかって、
中学生くらいには考えてたよ!
と、ぶつぶつ電車の中で突っ込みながら、
文庫本で900円という値段に絶望し、
まあ、いいか。
帰ったら、凄い本があるんだ!
その喜びに比べたら900円の絶望なんか、
なんでもないやい!
早く帰ろう!
本を読もう!
うちには凄い本がいっぱいあるんだ!
と、自転車のライトをつける。