『読書考』5・・・書店に居並ぶ本が寂しい

2008年1月4日 23:11:05

写真

(写真は、本文とはほとんど関係がなく、ある日のひと時)

どんなに忙しくても、本屋さんには毎日顔を出す。
それは、近所の行きつけの本屋であったり、
ターミナル駅の大きな書店であったり、
仕事で立ち寄った街の通りすがりの本屋であったり。

20代の頃は、書店が大好きだった。
東京に出てきて、浮かれっぱなしの自分にとって、
大きな本屋さんは、ワンダーランド。
バイトが休みの日には、朝っぱらから新宿に出かけて、
開店と同時に紀伊国屋書店に突入していた。
1階から全ての棚を見て回った。
1階を見終わり、加賀屋を覗き、階段で2階に上がる。
2階の文庫本のコーナを見て、新書のコーナーを見て、
各分野の雑誌を一渡り見回したら、大体お昼。
お昼は、紀伊国屋の地下に降りるか、
近くの大好きなカレー屋さん。
食べ終えたら、エレベータで最上階にあがり、
上から本を見ていく。

週に一度の愉悦の一日。
閉店までうろうろと本を見続け、
何冊かの本を買って、山手線。

読みたい本ばかりが並んでいた。
欲しい本ばかりが並んでいた。
何度万引きの誘惑に駆られたか。
読みたくも、て読みたくても、
お金がなくて、買える本は限られていた。

どうしても欲しい本があると、
一週間考えた。
考えて、やっぱり、買った。
たくさん持っていたレコードを売ってお金を作った。
売るレコードがなくなると、
時給のいい夜中のバイトにうつった。

当時の年間ノルマが300冊。
バイト代では、本の購入が間に合わず、
古本屋さんを回りに回った。
早稲田、神田。
店頭で陽にさらされている一番安いワゴンの中から、
選びに選んで買い込んだ。

ものを書きたい、と思っていた。
小説を書きたいと思っていた。
ペン一本でたちたいと思っていた。
そのために知りたかった。
世界の全ての謎を知りたかった。
どんな本を読んでも満足しなかった。
宇宙の全てを知りたかった。
知りたいことが書いてある本はなかった。
人間の全てを知りたかった。
なぜ自分は人間なのか。
考えることを考えるという深間にすっぽりとはまり込み、
何も知らないことに絶望していた。
それはまさに絶望という言葉がぴたりの感覚だった。
なにもできない。
なにも知らない。

年間300冊の読書なんかでは、
なんの足しにもならないと思いながら、
それでも読み続けていた。

書店に行くのが大好きだった。
今は、

今は、どうだろう。
最近の本屋さんでいつも感じること。

本が、自若としている。
昔は、本という本がもっとジタバタしていた。
本はおしゃべりで書店はその本の声で騒々しかった。
今は、静かだ。
とても静か。
寂しい。
そう感じる。

本が、笑うのを最近、見かけない。