『猫とともに去りぬ』著/ロダーリ_訳/関口英子

2008年2月9日 20:59:57

写真

近所の書店で見つからなかった本を購入した。
それは、鈴木邦男さんに言われた本であり、
急遽仕事で読まなければならなくなった本であり、
それらを捜しているときに目についた本であり。

書店には、本が並んでいる。
呆れるほど大量の本が並んでいる。

一日200冊もの新刊が出版されている。
その大半は、多分どうでもよい本で、
しかし、幾冊かは、100年の時を越える本だろう。
そうあってほしい。

そうでなければ、出版という行為が
何も宣言できないだろう。

読書を人生における最重要事項だと感じている人がいるのだ。
読むという行為に哲学的な意味づけをしている人がいるのだ。

光文社古典新訳文庫というのが出た。
特色のひとつに「本邦初訳」作品への挑戦をしている。
今日読み終えた一冊は、その第1弾のジャンニ・ロダーリの作品。

『猫とともに去りぬ』
著/ロダーリ_訳/関口英子

と、期待満々で読み始め、読み終えたのだけれども、
最後の最後まで折り合いが悪かった。
内容云々ということよりも
言葉の一つ一つが日本の言語感覚とずれている感じから抜け出せなくて、
簡単な訳なのでどんどん読めるのだけれども、
その「ずれている感覚」を修正しながら、という作業をしながらの読書。

内容自体は、確かに面白い。
芝居にしたら面白いのではないかと。

『魚になってヴェネツィアを水没の危機から救う一家。
ピアノを武器にするカウボーイ。
ピサの斜塔を略奪しようとした宇宙人。
捨てられた容器が家々を占拠するお話…。
現代社会への痛烈なアイロニーを織り込んだ、
ユーモアあふれる知的ファンタジー短編集。』

諷刺がある。
独得のユーモアがある。
それらは、本国イタリアのみならず、
世界中に共通する普遍性を確かにもっている。

日本に置き換えたらどうだろう、と考える。
日本人ならこんなときどう表現するだろう、と考える。

奇妙な読後感。
この本が売れるかどうかは、わからない。
多分、そんなに部数を伸ばすことはないだろう。

けれども、こんな本をたくさん出版してほしい。
世に問わなければならない本というのがある。
売れる、商売になる、という本ではなくて、
世に出さなければ、後世に遺さなければならない本というのが

確かにある。