『西田幾多郎』【現代日本思想大系22】編集/西谷啓治

2008年5月31日 00:38:32

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脚本は、そろそろラストシーンをむかえる。

書きたい言葉が、ある。
けれども、その一行が生きるための一行を書けない。
その一行は、裏主題となるのだけれども、

原稿用紙100枚近く主題を追ってきた今、
その裏主題に続く一行と、書きたい一行を書くことを躊躇っている。

もちろん技術としては、書き得るだろう。

その一行を考え続けている。
それを書くためには、一枚目に戻り、精査しなおさなければならない。

その一行を考え続けている雨が降る。

『西田幾多郎』【現代日本思想大系22】
編集/西谷啓治

ここ数巻、読むのに時間がかかっている現代日本思想大系。
20巻・マルキシズム
21巻・マルキシズム
そして、この22巻・西田幾多郎。

難しい、その一言。
分からない、という感覚とは別なのだけど、
いや、分からないのかもしれない。
分かったと言えないのだから、分かっていないのだ。

眉間にしわを寄せ、顔をこわばらせて読んでいる。
何度も投げ出しそうになりながら。
時間がかかった。
この一冊で、のべ20時間はかかったのではないか。

西田幾多郎

西田哲学と呼ばれる。
読み終えて、一言で言葉にしてみると、
「日本的な真理の探究の一方法と明日を信じるための或は考察」

と、言ってみる。
けれども、違うかもしれない。
まったく違うのかもしれない。
高木が読み終えて、そう感じただけ。

西田哲学を分かるためには、カントを分からなければ、
ヘーゲルをプラトンをソクラテスを

そして、場所という形而上的概念に常に居なければわからないのではないか。

と、自身への問題点だけを浮き彫りにして読了の一冊。


解説
「『善の研究』について」西田啓治
「西田哲学の展開」下村寅太郎・高山岩男・高坂正顕
「場所的論理と宗教的世界観」上田閑照

【思想の源流】
「善の研究」

【思想の展開】
「種々の世界」
「左右田博士に答う」
「弁証法的一般者としての世界」
「場所的論理と宗教的世界観」

【思想の風土】
「愚禿親鸞」
「ゲーテの背景」
「或る教授の退職の辞」
「煖炉の側から」
「歌並びに詩」