『社会運動の仁義・道徳』樋口篤三
2008年6月27日 23:48:57
疲れた体をバイクに乗っけて、夕方の国道。
信号が繋がると、気持ちがいい。
それ以上に、ほてった体に時速40kmの風圧が気持ちいい。
この数日口をついて歌ってしまう歌が、今日も出た。
「昨日と同じ今日なんて 誰も望みはしない
今日と同じ明日を 作ろうとは思わない
やりきれない朝もある 眠れない夜もきっと来る
嫌なことにもあきらめず その手で全てを消してしまえ
心が痛むほど声を嗄らし続けなきゃうまくはゆかない」
大声で歌って、帰宅。
ポストの中に鈴木邦男さんから郵便が届いていた。
(この重さ、もしや、黒色火薬か・・・)
と思ったが、
中から出てきたのは、一冊の本。
『社会運動の仁義・道徳』
樋口篤三
国道を突っ走った冷えた体で、読み始める。
人柄がわかるその文体。
そして、信念が揺るがない論調。
巻頭から最後の一行まで、見事にぶれない主張。
そして、破綻の欠片も無い構成。
食事をはさんで、読み終えた。
そうだ、本書の通底主張、
思想は生活に還元されなければ意味が無い。
そのことをはっきりと自覚していた自分を知る。
どんな思想も主張も、
人がよりよく生きるためになければ、意味が無い。
著者は、左翼活動・党運動の中から、
その、人の生活という根本問題を抉り出していく。
マルクス主義も、コミンテルンも、共産主義も、
社会主義も、帝国主義も、アナーキズムも、宗教も、哲学も、
なにもかも、人の生活に還元されることが、そもそもなんだと。
マルクス主義には、それがなかった。
だから、ダメになった。
では、いまの思想に、それがあるか。
いまの思想とは何か。
民主主義にそれがあるか、
覇道主義にそれがあるか、
王道主義にそれがあるか、
巻頭文には、あの孫文の名演説が引用されている。
そして、第3章には、鈴木さんとの対談。
あとがきを見ると、どうやら著者入院中の病室で収録されたもののよう。
エネルギーにあふれた言葉の数々。
その裏づけされた主張の精緻さ。
サブタイトルには、
「人間いかにいきるべきか」とある。
取り上げられた人々は、多い。
江戸末期から維新前後、そして明治期から昭和前期、
戦中、戦後までの思想家がきらびやかに登場し、
その生き様が短い言葉で的確に生きていく。
(黒色火薬じゃなかったな・・・)
と、読み終えて思うが、しかし危険な爆発物であることは、確かだ。