『科学の思想』【現代日本思想大系25】編集・解説/井上健

2008年7月10日 22:48:51

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新作の脚本に取り組みながら、
昔の脚本に手をいれ、来年の企画のために、いくつかの脚本を読み直す。
15年前に書いたまま、上演していない一本の脚本。
今、上演するとなると一から書き直さなければならないが、

画が見える。

15年前の作品を読みながら、
7年前の作品に手を入れながら、
今、稽古をしている作品がある。

驚くことに、

書いているテーマが、全く変わっていない。
何一つ変わっていない。
もう15年も同じテーマで書き続けていた。
それに、気がついた。

15年前に比べ、少しは語彙が増えたのだろう。
15年前に比べ、少しは形容に幅が出てきたのだろう。
少しは、表現に自由度が高まっただろう。
少しは、自我との拮抗を楽しめるようになったのだろう。

けれども、書いているテーマは、驚くほどにおんなじだ。
成長がないのか、それともそのテーマに対する表現的解決を見つけられないのか。
或は、ここが自分の居場所なのか。

『科学の思想』【現代日本思想大系25】
編集・解説/井上健

本を読む、嫌だけれども、やっぱり読む。
辛いことがわかっているけれども、読む。
眠ったほうがいいのに、読む。
先月、新書や軽い小説や推理ものなんかで冊数を「かせいだ」せいなのか、
そんな種類の本を手に取ろうと思わない。
むさぼるように思想大系を読む。

嫌だ、という感情が強いのに、
体が半ば拒否しているにも関わらず、思想書を読む。

【現代日本思想大系】も25巻まで来た。
『科学の思想』だ。

技術的には、もちろん現在の科学力のほうが進んでいる。当然だ。
けれども、科学における思想性はどうか。
本書が、そこが問題として提起されている。
技術・理論ではない。科学が、日本に果たす本来の役割。
科学が人間に奉仕するその真意。

本書に出てくる、物理学や原子科学、自然科学に人文も、
今となっては古臭い技術。当たり前の技術だろう。
しかし、そこに至る人間の思惟が強く書かれている。
それは、今の科学界にも当然あるだろう。
科学者は、それを書くべきだ。書き残しておくべきだ。
一行の方程式は大切だ。一個の原子核の解明も大切だ。
見えない数次元の解釈も大切だ。
けれども、その思想性と人間に果たす役割をきちんと言葉で書き残しておくべきではないか。

次の26巻は、『科学の思想』
大好きな数学が登場してきている。


解説「科学の体制と科学者の思想」井上健

【近代化と科学技術】
「日本における近代数学の成立過程」小倉金之助
「社会事情と科学的精神」石原純
「革命期における思惟の基準」武谷三男

【科学の論理】
「『自然科学と社会科学の現代的交流』から」武谷三男

【物質と時間】
「物質世界の客観性について」湯川秀樹
「物質的時間についての対話」渡辺慧
「原子物理学の発展とその方法」坂田昌一

【科学者の随想】
「原子党宣言」渡辺慧
「総長就業と廃業」長岡半太郎
「ルクレチウスと科学」寺田寅彦