『柳田国男』【現代日本思想大系29】編集・解説/益田勝実
2008年8月5日 00:03:42
公演まであと4回の稽古。通し稽古。衣装を着け、小道具を持ち。
でも、会場に行かないと、本番じゃないとできないことがたくさんある。
そこに、それがあるつもり。そこにあれがあるつもり。
そうやって、稽古をしていく。
その会場にいかないと無いものが見える時と見えないときがある。
見ることのなんというエネルギ。
目の前の俳優が繰り広げるカラフルな精神の交錯。
見逃すことはできない。
全員を、全てを見ている。自分に少しでひっかかることがあれば、
ひっかかったことを信じる。
それが何を原因とするのかは二の次。
恐るべき稽古場。恐るべき劇団員。恐るべき演劇。劇団再生。
雨か。
自宅に帰り、エアコンを拒絶し、裸になる。
『柳田国男』【現代日本思想大系29】
編集・解説/益田勝実
現代日本思想大系、29巻を終えた。
一巻から読んできたのだけれども、ここにくるまで気が付かなかった。
柳田国男?えっ?
そうなの?もしかして同姓同名の思想家?
このシリーズは、現代日本思想大系。
様々な思想と思想家が取り上げられている。
この中で、柳田国男。
思想家?そんな印象は全く無かった。
読んでいてもそれまでのものと印象が確かに違う。
巻頭の解説で益田勝実は、こう書いている。
「柳田国男は、まさしく、〈思想のことば〉を用いない新しい思想の生産者である。」
民俗学が新しい思想に止揚するその萌芽として、取り上げたのだろう。
読みやすいタッチの論文を読んでいく。
柳田翁の口調、筆致。それは、やっぱり優しい。そして、自然のように厳しい。
嘘がない。けれんがない。衒いがない。
全国を歩いた、柳田国男が、ただ、いるだけだ。
読み終えて、やっぱり思想とはどこかで思えない。
柳田国男は柳田国男だ。それが、思想だという人もいるだろうけれども、
柳田国男は柳田国男で、思想とは、違う、気がする。
解説「柳田国男の思想」益田勝実