『超国家主義』【現代日本思想大系31】編集・解説/橋川文三
2008年8月19日 22:46:23
次の舞台のイメージが炸裂している。
今日の明け方だった。
何万枚もの画が一瞬で見えてしまった。こんな経験は初めてだ。
昨夜は、眠れない夜だった。
前日もほとんど睡眠をとれていなくて、体は眠いはずなのに、眠れなかった。
最初は、言葉が走った。いくつかのキーワード。
台詞になりうる数々の単語がいくつもいくつも頭に浮かび、
やばいっ!
そう感じていた。書き留めておかなくてもいいだろうか。
明日の朝、忘れていたらそれまでの言葉だったのだ。
そう思いながら、頭を疾駆する言葉を追った。
それにしても、こんなにドキドキしているのはなぜだろう。
鼓動が早い。気が付くと目を見開いている。完全に覚醒している。
この頭の回転はやばい!
鎮めようと本を手に取る。中国古典の漢文大系。
すらすらと頭に入る。眠れない。一冊読み終えた。
そして、明け方。
何万枚もの画を一瞬で見た。見てしまった。走馬灯と言うのかもしれない。
その画は、全て次の公演の、あの舞台だ。阿佐ヶ谷ロフトだ。
思いついたことは信じてやろう。そう思って劇団再生は舞台と闘う。
けれども、明け方の何万枚の画は、思いついた、というレベルじゃとてもない。
超高速回線で一瞬にこの頭にダウンロードされたという感じか。
その何万枚ものファイルは、ある。
一枚ずつを丁寧に再現することは、どうやら難しいようだけれども、
明け方のあのイメージこそが、脚本だ。
あのまま再現できれば。言葉という厄介至極な代物を使わなくて再現できれば。
明け方のエクスタシー。
『超国家主義』【現代日本思想大系31】
編集・解説/橋川文三
誰にも教えたくない。自分ひとりの本にしたいと思ったのが、これ。
何も、書きたくない。
解説「昭和超国家主義の諸相」橋川文三