●463●『丘浅次郎集』【近代日本思想大系9】

2009年5月30日 23:12:41

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クリメント・アルカジエヴィッチ・チミリャーゼフという植物学者がいた。
ロシア・ダーウィニズム学派の第一人者だ。
チミリャーゼフは、その著作集の中で植物生理学の思考性を一般化していく。

「創造と破壊という二つの過程の統一性のみが
生命体を特徴づけているのである。
生体は崩壊することによってのみ生きているのである。
『生命、それは死である』とクロード・ベルナールは語っているが、
この言葉の中に、ひびきのよい定義を追い求めるさいの自明の真理と
鋭い皮肉が含まれているのである。」(チミリャーゼフ著作集―第五巻)

そして、ポール・セザンヌの有名な言葉が聞こえた。
『君がそばにいてくれるといいのだが。
なぜなら、いつも多少重すぎる孤独がそれでまぎれるから。
しかし、私は老人で病人だ。
分別を失わせるような激情に支配されるがままなっている老人をおびやかす、
あの哀れむべきもうろく状態におちこむよりは、
私は描きながら死のうと心に決めている。』

久しぶりに稽古場に劇団員が揃った。
「丘浅次郎」を読んだからだろう。彼らの体の仕組みに目がいく。
人間はどこまで意識的に自らの体をコントロールできるだろう。
不随意筋までも自在に制御できる肉体を持つことは可能だろうか。

俳優は、そうならなければならない。

のではないか、と極論をぼく自身の中にそっと置いた。
年齢なのか、体力が続かない。今日、8月の舞台『調律の帝国〜天皇ごっこ〜』の稽古に入った。
体力をつけないとな、と、思った。
俳優以上の体力を持とう、と、思った。彼ら以上の肉体がなければどうにもならない。

のではないか、とそれをそっと置いた。
彼らの肉体は、どこから来て、どこに行こうとしているのか。
彼らを流れる血は、どこから来て、どこに行こうとしているのか。
こっち方面に思考を奪われたくなかった。
ちくしょう、丘浅次郎め!

生物学を形而上にあげようとして、中途半端になってるじゃないか。
進化論を社会科学に止揚しようとして、言い切ってないじゃないか。
それらは、ぼくたち読者の仕事なのか。
そりゃ、考えるってもんだ。考え尽くす時間がないので、「問い」だけを、
ぼくにそっと置いた。

『丘浅次郎集』【近代日本思想大系9】

(463)
編集・解説/筑波常治

時間がほしい。
この熱を下げるだけの時間があればいい。


『丘浅次郎集』【近代日本思想大系9】
編集・解説/筑波常治

進化論講話
教育と博物学
人類の誇大狂
芸術としての哲学
所謂自然の美と自然の愛
人類の将来
所謂偉人
自然の復讐
境界なき差別
固形の論理
疑ひの教育
理科教育の根底
落第と退校
猿の群れから共和国まで

「丘博士の生物学的人生社会観を論ず」大杉栄

解説/筑波常治

年譜
参考文献