『演劇機関説・空の篇』

2009年12月31日 22:18:45

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脚本が書きあがったわけではない。
まったく書けない日々が続きながら、画だけが自己増殖を繰り返している。
驚くほど、画が先行している。
言葉がついてこない。というよりも、正確には、画を言語化することができない。

とはいえ、こつこつと画を分解し言葉に置き換えている。

正確に記そうとすればするほど、饒舌になり、
ただ原稿用紙だけを浪費し、たった数分の場面を書くのに数十枚を要し、
それでも前に進めばよくて、
数十枚を費やし書いた数分は、一枚の画のたった右隅の一場面に過ぎず、

その言語化をどれだけ繰りかえし、その数十枚をどれほど重ねれば一枚の画になるのか、
想像すらできない。
もはや、「書く」というどんな方法も、捨てた。

ただ、ここにあるのは、一本の万年筆と原稿用紙の束だ。

万年筆を絵筆に持ち替えないことが、
今の最大の努力であり、ぼくの最後の砦になりつつある。

『演劇機関説・空の篇』
架空の物語であり、且つ現実の観念であり、事実の物語だ。
いや、物語の事実、と言ったほうが正確か。
書きながら、どこか一般の理解の網の深さか手に取るように分かりながら、
それを無視して、網をどこまでも深く投げ沈める。
書きながら、どこが普遍に立つ杭の深さか手に取るように理解しながら、
それを無視して、杭をどこまでも深く打ち込む。打ち込む。

この一篇の脚本は、見ることで生命を得ることのできる、脚本だ。