『シェリー詩集』『その科学が成功を決める』『ダーウィンの夢』人生が変わる哲学の教室』

2010年5月25日 23:38:14



ネチャーエフは、書き残している。

「吾々にとって思想は、根本的普遍的な全絶滅の偉大な事業に役に立つに限り、価値がある。
然し、現存する如何なる書物にも、かかる思想は存しない。
書物より変革的な事業を学ばんとする者は、常に変革の無能者にとどまる」

そのネチャーエフをモデルとした『悪霊』のピョートル・ヴェフォーベンスキイは、問う。

「どちらが諸君にとって望ましいか、忌憚なく明瞭に述べて頂きたい。
亀の子のように泥沼をのろのろと這って行く方か、それとも、
全速力でその上を飛び越える方か」

『悪霊』の中でその問いに対する一座の答えは、皆同じだ。
革命家のカテキズムの中でネチャーエフは、言う。

「革命家は、前もって刑をいいわたされた人間である」と。

ドストエフスキーもこの教理問答は知っていたはずだ。
テロリストという時間。それは、やはり止揚されなければならない。
結局、読むか、書くか、死ぬかしかないじゃないか。

『悪霊』を書いたドストエフスキーは、『地下室の手記』において主張する。

「この日記の筆者も、日記自身も創作だ」と。そして、
「滅びゆく時代の一代表的な人物を描くことがその唯一の目的だ、と。
ドストエフスキーの見る滅びゆく時代。

そして、今、ここにある滅びゆく時間。
演劇の寂しさが分からないか。
演劇の慟哭が聞こえないか。
演劇の啜り泣きが聞こえないか。
演劇の滅びの塔が見えないのか。
演劇の破滅への足音が聞こえないのか。

それが見えないあなたは、
それが聞こえないあなたは、

演劇に携わる資格はない。
ただちにやめるべきだ。それがあなた方の大好きな演劇のためであり、
そして、あんた自身のためだ。自分の道を汚したくは無いだろう。
なんせ、プライドは人の何十倍も高いんだから。

あんたの大好きな演劇を悲しませたくはないだろう。
それでも、演劇に関わり、自分で責任を負わない今の態度は、まるで変態だ。
大好きな人が弄ばれているの見て喜んでいる、破綻だ。

とはいえ、演劇の慟哭が聞こえないんだから、あんた自身でこれに気付くはずもない。
諫言しようにも、聞く耳持たない高いプライド。
ドストエフスキーとあんたを比べはしない。無理ってもんだ。

けれど、お情けに質問を一つ。大サービス。
あんたは、赦されない人物を知っているか?

そう、この問いは、ボードレールだ。読んだことはあるだろう。
けれども、この問いに真摯に答えたことはないはずだ。
大サービスの質問だ。さあ、答えられるか。

今も聞こえる演劇の啜り泣き。
わかってる。全てが自分に返される質問だし、問われる問題だということは。
いいだろう。どんどん聞いてくれ。
全てに答えよう。いくらでも建設的な破壊法を提案しよう。
わかってるんだろ、あんたも。

一度完全に破壊しないと、建設的な建設は、無理だということ。
今の演劇を壊すことが怖いか。
そりゃそうだろう。
利権もあるし、立場もある、築き上げたポジションも、プライドもあるだろう。
いいんだ、言い訳は。

さて、ここにあるのは、一冊の爆弾教本。
黒色火薬の扱いから、コンポジションまで。

ここにあるのは、爆弾教本。
ぼくは、刑を言い渡された。

『シェリー詩集』シェリー
『その科学が成功を決める』リチャード・ワイズマン
『ダーウィンの夢』渡辺政隆
『人生が変わる哲学の教室』小川仁志