『うまい犯罪、しゃれた殺人』『殺人コレクション』『夫と妻に捧げる犯罪』
2010年5月26日 21:23:12
そうだ、テロリストになるんだった、と不意に思い出した。
人を殺し主張を立ち上げるばかりではなく、
人を生かすのもまたテロルではないか、と何年も前に仮説した。
一人一殺、一殺多生と、テロルの美学は言葉において行く先なく漂う。
その「現代」という言葉の波間に、
人を生かしきることもまたテロルではないか、と証明を続けている。
一人一生、一生多生。
そうだ、テロリストになるんだった、と不意に思い出した。
発熱と読書の毎日、達磨面壁。
面壁九年か。
思考するのにこの手が邪魔だ。手なぞいらぬ。切り落としてしまえ。
こんな足もいらぬ。面倒だ、切り落としてしまえ。
手があるから余計なことを背負い込む。
足があるから無駄な足掻きを続けてしまう。
手も足もいらぬ。この頭があれば、それでいい。
読書をしながら、なるほど、それもまた一興、と。
いっそのこと切り落とすか、と誰にも見せたことのない一振りを取り出す。
そうだ、テロリストになるんだった、と不意に思い出した。
鈍く光る一振りを握り締め、舞台に踊りでる。
テロリストの舞台。
そこで口にすべき言葉は決まっている。革命論だ。一行の革命論だ。
一行、5文字の革命論を力に、ぼくは、その舞台で白刃を振り下ろす。
誰かの、何かの、何処かの、血が流れるだろう。
誰かが、何かが、何処かが、激動するだろう。
背に立つ達磨法師の見詰む先・・・
達磨面壁。
面壁九年。紅葉散る激流河岸に立つ達磨。
己の手足を自ら切り落とすことになる運命の達磨法師は今、何を見据えているのか。
その達磨、今はしっかと上を見詰め、そこに何があるのか。
そうだ、テロリストになるんだった、と不意に思い出した。
明日なんかない。明日なんかない、と呟き、何百年何千年を生き抜いた先人の智慧に恐怖する。
発熱の夜、本を読み漁りながら、全てを知りたい。全てをこの身に、と。
けれども・・・
これが、最後の一冊ではないか、
これが、最後の一行ではないか、
そうだ、テロリストになるんだった。