八十年目の二・二六事件

2015年12月3日 21:18:24


昭和十一年(1936年)二月二十六日、降り積もった雪が赤く染まった。

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という書き出しほど陳腐なものもないだろう。

誰かが、関係する本を読もうとAmazonででも調べてみる。そして、その誰かは、あまりの書籍の多さに驚いてしまうだろう。

二・二六事件を語ることは、その人を知ることと同じだ。その人の全てが分かってしまう。そんな事項は他にはないのではないか。

もちろん、先の大戦を語ることもそれに近いものがあるだろう。

或いは震災やオウム事件ということを語ることも近い感覚があるかもしれない。

また或いは、現在進行形の外交を語ることもそうかもしれない。

二・二六事件はやはり特別だ。

特別たる理由は、登場人物の座標上の位置関係と常に対局する心情、という二点に尽きるのではないか。

その二点を支点として、曼荼羅のような眩暈をおこさしめるのだ。

三島由紀夫の二・二六事件を扱うのだが、どうしてもどこかで、ぼくの二・二六事件が現れてしまうだろう。

「正気」

来年は、昭和十一年から八十年目を迎える。

「三島由紀夫の二・二六事件三部作」

「英霊の聲」「憂國」「十日の菊」

二・二六事件を語ることは、語るものを試し続けることなのだ。