『経済の思想』【戦後日本思想大系8】編集・解説_伊東光晴・長幸男
2007年11月12日 00:33:34
普段なら時代小説とか、歴史小説を取り出していた
そんな雨。
あっ、そういえば小説を読むことが少なくなったなあ。
日本思想大系に取り組んでいるので、
時間的な問題で小説に触手をのばしてられない、
ってのが本当のとこだけど、
こないだ(高木ごっこには上げてないけど)
一冊の小説を読んだときに気付いたこと。
小説を読む速度が上がった、ということ。
思想書を丹念に読んでいくうちに、
速度アップの訓練がおのずと出来ていたのか、
自分でもびっくり気付くくらい、
小説は、早く読めていたなあ。
冷静に分析するに、
小説は単語の連なりが一定の美学によって決定されているので、
(もちろんその美学は
作家・時代・国なんかで固有に決定されているけど)
次の単語がある程度予想できて、
そして、物語なので
その道筋も一定の「予想」に決定されているからなんだろうな。、
と。
そんなこんなで、怒涛の読書。
『経済の思想』【戦後日本思想大系8】
編集・解説_伊東光晴・長幸男
さて、8巻です。
「経済の思想」です。
前文の解説を読み始め、「これは・・・」
と、嫌な予感。
嫌な予感とは、理解不能と理解困難への予感。
「経済」の「思想」です。
「経済論」ではないのです。
それがはっきりと打ち出された編集で、
高木には、ほぼ未知の世界。
のっけから、マルクス、スミス、ケインズあたりが登場し、
その登場仕方は、
マルクスは、こうだ。
スミスはこうだ、ケインズは、
という登場ではなくて、
それらの経済理論は全員が既知の知識として
「その辺は常識でしょ」
という展開がされていくわけです。
常識とされてスルーされていく数々。
マルクス経済学、レーニン、アダム・スミス、
ドッジライン、労農派、マーシャル・プラン、
資本主義構造、原理論、段階論、現状分析論・・・・
苦難を予想する読書に対しての方法として、
高木は、
休憩をおかず一気に読み続ける、というのを採択します、大体。
もちろん、
気分や体調によっては、ゆっくり読もう、
と思うときもあるのだけれども、
本書は、何時間かかっても一気にやろう!と。
日をまたぎ、
14時間近くかけて読み終えました。
わかったのか、と問われれば、
分からなかった、としか答えられないけれども、
心に残った論旨や言葉はやはり多くありました。
下の写真は、
本に挟まっていた当時の資料。
編集・伊東光晴・長幸男
対談『戦後経済の思想』伊東光晴・長幸男