「読書考」とタイトルをつけてみる・・・1
2007年12月14日 00:02:47
冬に読書欲が増進する、と、
以前書いたけれども、その通りで、
高木ごっこの記事も読んだ本の紹介ばかりになっています。
毎日本を読み、
本を読む本なんてのを読んでみたり、
メールで読書談義を無限に交わしてみたり、
居酒屋で、喫茶店で、
本の話に盛り上がってみたり、
友人が購入したり、同志が頂いたりした本に
過敏に反応してみたり、
いつもいく書店に居並ぶ大量の書物が寂しげに見えたり、
一日に数百冊もの新刊が出版される構造を慮ってみたり、
30年も前の一冊の文庫本が同じ文字列を並ぶという現象に
今更ながら驚いてみたり、
毎日本に接し、本を読むのだけれども、
相変わらず、
本を読むということが、
わからない。
読書を超えたい、
雨に向かってちょっと言ってみる。
そうだ、読書そのものを、超えたいんだ。
その呟きにコトバがこっちを向く。
「?」そんな顔。
「なんでもないよ。」
餌がほしいのか、
或いは眠いのか。
甘えた顔の2頭身で小首を傾げ。
雨が小さく降り、
ガスファンヒータの音がうるさい。
そうだ、読書自体を超えたいんだ。
そして、思考は、読書とテロルの蜜月。
以前から着想していたその関係に
新しいファクタを見出す。
読書とテロルと雨。
思考実験が一気に加速する。
読書を超えることの寂しさは、
そのまま、地下室の手記にスライドする。
テロルと有機的な交わりを交わる淋しさは、
そのまま、地下の爆弾製造所へスライドする。
黙狂か、
そりゃそうだ。
黙ることが第一の手だ。
しかし、
と、実験を加速させ、
世界には雨が降る。
地下室の沈黙は、100年の時を経て、
世界で結実しているではないか。
地下室の爆弾も、あれから100年を経て、
世界を爆破するだろう。
雨が降らなければ。
しかし、
世界には雨が降る。
読書とテロルと雨。
ここで完全な手を打てば、終わる。