『キリスト教』【現代日本思想大系6】編集・解説/武田清子
2008年1月26日 23:33:32
目が悪くなっている。
生活に不自由が出てきた。
もともと、良くはなかったのだけど、
ここのところ急に一段と。
車に乗るときや映画を見るとき、
長時間のパソコンの作業では、
今でも眼鏡を使ってるんだけど・・・
近くのものが見えなくなってきた。
近くに焦点が合うまでに異常に時間がかかるし、
ある程度の距離が必要になった。
老眼だね、と、言われる。
そうなのだろう。
老眼だろうがなんだろうが、
仕事が不自由になってきた。
手元のテキストや資料を見ながら、
パソコンで作業をすると、
イラつくほどに不自由。
80cm先のモニタを見つつ、
手元の資料に目を移すと、見えない・・・
視点が合わない。
乱視があることも原因の一つなのかな。
視点が合うまでの時間がもったいない。
今日の新聞にメガネストアの広告を発見。
おぎやはぎが心のこもっていない笑顔で宣伝している。
広告の一番上には、「遠近両用セット9800円!」
近所にあるメガネストア。
明日、行ってみようかなあ。
パソコンでの作業と猛烈な読書が原因だろうな。
これからもどんどん悪くなるんだろうなあ。
まあ、仕方ないか。
『キリスト教』【現代日本思想大系6】
編集・解説/武田清子
読了に時間がかかった一冊。
前巻の内村鑑三に打ち砕かれた高木に追い討ちをかけるように、
キリスト教。
書いてあることが分からないんじゃなくて、
難解ということでもなくて、
生理的に受け付けないとかではなくて、
読んでも読んでも、折り合いがつかない。
内村鑑三の巻は、
彼一人のキリスト教だったから、それは、
私小説のようになめらかだったのに、
この「キリスト教」は、「キリスト教」という、
止揚過程にあると自分は解釈している「思想」を
多視点的十字砲火で編まれていて、
それが、読むのに時間がかかった原因かなあ、
と、読み終えてみれば、感じる。
民主主義やナショナリズムのように、
大きすぎてとりとめがないのではない。
それどころか、
狙い撃っているのは、一点。
それなのに、乱雑とも思える巨視。
語弊がないように。
面白い面白くない、というのでは、決してなくて、
・・・大きすぎるのかなあ・・・
民主主義も人間が取り扱うには、確かに大きい。
ナショナリズムも触れがたいほどに大きい。
それ以上なのか?
そこにある信仰の大きさ・・・
疲労。
最後の一行まで折り合いがつかなかった。
疲れ果て、
疲れ果て、
読み終えたときのいつもの「読了感」は、
まったくなく、
次の7巻を手に取ると、「仏教」
嫌な予感が・・・
解説「地の塩―キリスト教と近代日本の形成」武田清子