『海に住む少女』著/シュペルヴィエル_訳/永田千奈
2008年2月7日 00:36:43
自宅にある本は、データベース化して管理している。
と、豪語していた。
具体的には、どんなことかと言うと、
読み終えた本は、どんどん段ボール箱の中にいれていき、
段ボールがいっぱいになると、その段ボール箱にナンバーをふる。
【A】とか【D3】とか。
それは、Aから順に進むのだけど、そうやって、ナンバリングする。
んで、パソコンでのデータベースの入力。
書籍名、著者名、出版社、ISBN、分類、保管段ボールナンバー等々。
そうすると、その後の検索が非常に楽になるんだ、と
豪語していたが・・・
確かに素晴らしいシステム。
太宰治と検索すると、所有する太宰の本がどこにあるのかすぐに分かる。
哲学と検索すると、哲学と名前のつく本が出力される。
なのだけれども、
昨年9月の芝居で、舞台上で大量の本を美術として使った後、
管理されたナンバーどおりに本を段ボール箱にしまわなかったため、
今は、
ただ、大量の段ボール箱にたくさんの本が詰まっている、だけ・・・
データベースもなんの役にも立たず・・・
昨夜、
どうしても知りたい句があり、
作者は分かっているけれど、どの本なのか分からなくて、
探そうと。
データベースを見ると、確かに所有している。
「よし!」と積み上げられている段ボールを開けて、
中を探し出した、のだけれども、
20箱を調べ終えたところで、力尽きたのでした。
結局、書店で新刊を買ってきて、
その一句、31文字を確認して、一息。
整理されているからこそのデータベース、
時間を作って、段ボールに詰めなおさないとだめか、
と、思ったのだけど、
4月の舞台でも本を使いそうで・・・
とはいえ、今日も一冊を読み終え、
『海に住む少女』
著/シュペルヴィエル_訳/永田千奈
こんな空気を舞台にすることができたら、と
痛切に感じた本書。
短編がいくつも並んでいる。
その透明度・透過度は、
痛い。
形容のしようがない・・・
本書を形容する言葉は、日本語にはないのではないか。
やはり、フランス語の中にしか、これを一語で表す語はない気がする。
「切ない」と言えば、近いかもしれない。
けれども、違う。
「寂しい」と言えば、近いかもしれない。
でも、やっぱり違う。
自己犠牲、不条理・・・・
生きる生物。
人間と言う意識を超えた壮大なる自己犠牲。
「フランスの宮沢賢治」とよく言われるけれど、
そうではないのではないか。
作品至上主義的な透徹さは、むしろ太宰治ではないか。
物語の完成度の高さと言葉一つ一つの切実さ。
読み終えた後、すぐにでも、
もう一回最初から読もうと、久しぶりに思った一冊。