『殉死』司馬遼太郎
2008年2月7日 23:44:08
夕方、水をかぶり、自ら修理していた携帯電話。
熱したり、冷却してみたり、
軽い分解を試みたり、油をさしてみたり
仕事をしている間は、完全に放置してみたり。
今、電池をいれ、カバーを閉め、電源を入れてみると、
電源は、入る。
なんとかメールの受信ボックスには入れる。
でも、返信ができない。
返信入力画面に進んでも、文字が入力できない。
なので目覚ましのセットもできない。
やっぱり駄目か?
お気に入りの携帯電話なのになあ。
これを機に、携帯電話を持たない、という決断をくだそうか、
と本気で考えたけれども、
さすがにそうはいかないかなあ。
明日、だめなら、機種変更しかないかな。
それとも、これを修理に出すか。
CRCまみれにしたから、修理してくれないかも・・・
『殉死』
司馬遼太郎
ご存知、司馬さんです。
たくさんの名作を問い続ける司馬さんです。
自分もいっぱい読みました。
けれども、なぜかこの作品は読んでなかったのです。
本当に、「なぜか」読んでいなく、
嫌いな素材ではないのです。
むしろ、好きな題材です。
でも、なんでか手が出ていなかったのです。
手にした感触が悪かったのか、
表紙デザインに奇異なものを感じていたからなのか、
それとも、
予知だったのか。
「乃木希典―日露戦争で苦闘した
この第三軍司令官、陸軍大将は、
輝ける英雄として称えられた。
戦後は伯爵となり、学習院院長、軍事参議官、宮内省御用掛など、
数多くの栄誉を一身にうけた彼が
明治帝の崩御に殉じて、
その妻とともにみずからの命を絶ったのはなぜか。
”軍神”の内面に迫って、
人間像を浮き彫りにした問題作。」
と、裏表紙に案内文がありますが・・・
予知は、正しかったのです。
予感は当たっていました。
問題作では、ありません。
乃木希典の内面に迫ってなどいません。
えっ?これが、司馬?って感じです。
書けていないのです。
著者は、冒頭で、
「この書きものを、小説として書くのではなく小説以前の、
いわば自分自身の思考をたしかめてみるといったふうの、
そういうつもりで書く。(中略)
深く考えもせず、
筆者自身の思考材料として書いた」と宣言をしています。
そんなんなら出版しなきゃいいじゃん!
って、思うわけです。
実際に小説にもなっていないし、
覚書にしては、「読んでくれ!」といういやらしさが前面に出ている。
司馬という作家の一番醜い部分が
はからずもあぶりだされている。
今から40年も前に出された作品ですが、
何がなんだか。
これを出版することによってどうしたかったのかわからない。
という、苦痛の2時間を過ごした上に、
携帯電話がクラッシュし、
まあ、いいか、明日は凄い本を読もう!と真夜中。
そうだ、昨日鈴木邦男さんに言われた2冊の本。
近所の書店で発見できず・・・
現行の書籍なので、あっさりと並んでいるかなとおもったけれども、
2冊とも、なし。
明日、手に入れよう。
凄いらしいから、凄い時間を過ごそう!