●3冊●福田恆存
2008年3月22日 23:29:37
福田恆存の著作を3冊
『人間・この劇的なるもの』
『私の幸福論』
『福田恆存文芸論集』
高熱を発し、ひっくり返って、本を読んでいた。
眠ったり、目覚めたりしながら、
昨晩から20時間近くを布団で過ごし、
うつらうつらと夢うつつで本を読んだ。
考えることがあり、
福田恆存を枕元におき、一冊ずつ。
布団の中で汗をかくと、ごそごそと起き出し、
体を拭いて、着替える。
何か食べなきゃと思い、
手近にあるチョコレートとのど飴を食べる。
薬を飲んで、布団にもぐりこみ、本を読む。
福田恆存。
自分が演劇の世界の深淵に足を踏み込んでいく中で、
とても影響を受けてきた。
表現的な演劇としては、もちろん、
寺山修司さんや、JAシーザーさんなんかに衝撃を受け、
それを昇華しようと今もあがいている。
福田恆存は、また別の影響。
精神的な演劇のあり方、と言うか、
演劇そのものの精神、と言うか。
言葉にならなかった数々の想念が
福田恆存の手にかかると、これほどに分かりやすい言葉になるのか、と。
39度を超える発熱の中で、
言葉だけが脳内を渦巻く。
恐ろしい夢を見続けた。
気がつくと、5分しか経っていない。
不快な観念を見続けた。
気がつくと、1分も経っていない。
恐怖の夢も不快な観念も数時間・数日をかけるほどの感覚なのに、
数分しか経っていない。
あの恐怖に打ち震えた夢は、なんなのか。
福田恆存の言葉が引き金になっているのは間違いない。
夢の中で、ハムレットが禅問答を仕掛けてくる。
観念の中で、シェイクスピアが背後を窺う。
恐怖の中で言葉をしゃべり続ける自分が居る。
39度の発熱の中で、
本を読みながら、しゃべり続ける自分を、見ている自分を、見ている。
そんな20時間を過ごし、稽古にいった。
暖かい稽古場の演出卓。
フルトヴェングラーの第九を聞きながら、
気が遠くなる。
心地よい気絶。集中力が高まるのが分かる。
覚醒と幻の狭間に完全な一本の舞台を観る。
1951年、バイロイトで歓喜に震えるフルトヴェングラーを追体験する。
ヒトラーとの関係から戦犯として
振ることのできなかった彼の数年を思う。
まさに歓喜の歌。
芸術活動を禁止される事の恐怖。
そして、今、自由に表現することが許されていることの、歓喜。
39度の熱が見てはいけないものを見せ付けてくる。
そうだ、
(そうだ、この完全な人間を見たいんだ)
(そうだ、この人間を創りたいんだ)
高揚する気持ちの中で、飲みにいこうかと一瞬考えるが、
あまりの疲労に、おとなしくバイクを走らせ。
帰宅する。
健康第一ですよ。
健康第一。
うちにいるリラックマがのんびりと言った。