『文学の思想』【現代日本思想大系13】編集・解説/中村光夫
2008年4月16日 23:26:00
こないだの公演で使用した小道具や美術・衣裳なんかが片付かないまま、
次の作品にペンを入れた。
原稿用紙を前に、万年筆にインクを入れ。
一枚目にタイトルを書いた。
二枚目には、この作品が目指すところの今の気持ちを書いた。
時と場所を指定し、「登場人物」を列挙し、
いつものように、舞台の景色から、
ト書きを書いた。
幕開きのト書きは、原稿用紙4枚を超え、
『ケロロ軍曹』の2巻を読んだ。
驚くべき潜在能力ケロロ。
3巻は、まだ楽しみに取っておこうと、窓の外にいつものあれを見た。
脚本を書き始めると、自分の頭の中の状態に敏感になる。
ニュートラルなポジションは探さねば、ない。
顔面が痙攣する頻度が高くなる。
頭の内部を覗こうと全身の肉体が静止してしまう。
畳の目を数え、煙草の有益性について考えることが多くなる。
窓の外には、
そんな時、右から左に疾走する何かが、見える。
それは、時には、凶暴そうな馬であったり、
時には、濃縮され視覚化された空気圧であったり、
時には、巨大な目玉であったり、
時には、(多分)母を求める赤ちゃんの両手であったり、
ものすごい速度で右から左に。
瞬きする間に見えなくなってしまうほどの速度のそれを、
窓の外に。
「あっ」
と、思う。
『文学の思想』【現代日本思想大系13】
編集・解説/中村光夫
「現代日本思想大系」も1/3を超えた。
しかしまあ、急展開な編集だ・・・
「権力の思想」
「実業の思想」
「ジャーナリズムの思想」ときて、これ。
頭がついていかない。
分裂するぞ。
各巻の編集方針も、編者に任されているのか、
全く違う。
この「文学の思想」は、各時代の完全な思想を取り上げているのだけど、
「論争」をピックアップしているのは、特筆。
坪内逍遥vs森鴎外の「没理想」是非論争
著名作家による「自然主義論争」
菊池寛vs里見
お互いがその存在をかけて、論じる。
それは、驚くべき熱情だ。
それにしても、こんな一冊が残っていることに幸せを感じる。
この一冊を読めたことに感謝する。
現在、こんな一冊が編めるだろうか。
現在の文壇に主義や思想があるだろうか。
確かに毎日たくさんの本が出版される。
一日200冊も新刊が出ているという。
ほとんど毎日書店に顔を出す。
今日も行った。
今日、買うべき本は、『ケロロ軍曹』だった。
書店では、店員さんが真面目に働いている。
丁寧に積まれた本。
綺麗に並べられた本。
カラフルなポップに化粧された本。
その中に、どれほどの主義があるだろうか。
どんな思想があるだろうか。
主義や主張や思想がなければならない、と、言っているのではない。
それらがない事が、今の思想なのかもしれない。
それらがない事が、現在という時代なのかもしれない。
本書に収められている時代には、たまたまそれらがあっただけの話かもしれない。
けれども、
新しく生まれてくる新刊に、面白いと思える本がないのは、なぜなんだろう。
心を揺さぶらないことが、新しい思想なのかもしれない。
感動させないことが、新しい主義なのかもしれない。
魂をノックしないことが、新しい文学なのかもしれない。
解説「近代文学の思想」中村光夫