『左翼はどこへ行ったのか!』宝島社
2008年5月26日 21:50:32
どうも間が悪い数日が続いた。
脚本を書かなきゃと、ゆっくりと頭を舞台に集中していき、
これまでに書いたところを丁寧に読み直し、必要な資料にあたり、
そうやって、一時間をかけて次の一行が書けるようになる。
さあ、次の一行だ。
と思った矢先に事務的な連絡が入ったりする。
「あとで」と処理を後回しにすることもできない。
創造の頭は、事務処理の頭にぐにゃと変わってしまう。
あれこれの事務処理をクリアして、いざ再び脚本を書こうとすると、
一から頭を作り直さなければならない。
それには、やっぱり1時間から2時間の時間がかかる。
そんな間の悪さが続いた数日。
それが脚本が書けない理由には、ならない。
そんな事情は、理由にもならない。
頭の切り替えがすぐにできて、万年筆を握るとすぐに書ける人もいるだろう。
羨ましい。ほんとに羨ましい。
そうやって、すぐに書ければどんなにいいか。
羨ましくて、そんな方法に無理やりチャレンジしたこともある。
次の一行を無理やり書く。
無理やり、というのは、その一行の着想の精査と
それまでに書いた言葉全ての連絡性を精査せずに、ということ。
確かに書くだけは、書ける。
でも、それは、ぐだぐだのだめだめの結果に終わった。
今夜もこれから時間をかけて、一行が書けるように真夜中を創る。
『左翼はどこへ行ったのか!』
宝島社
書店に並んだときに買ったまま、ちゃんと読んでなかった本。
ぱらぱらとめくっただけだったのを、
今日、ちゃんと読んだりした。
書店には、毎日行く。
それは、空気を吸うこと以上に自然に、行く。
一分で店を出ることもあれば、1時間を過ごすこともある。
並んだ本を見ていると、なんとなく、いろんなことが見えてくる。
流行といえば、そうなのかもしれない。
思想潮流と言っても間違いではないだろう。
「右翼」とか「左翼」とか、という活字をなんだかよく目にする。
それは、流行なのだろう。
今、「右翼」も「左翼」もその言葉以外には、「無い」はずなのに。
こんなに並んでいるということは、売れるから、出版しているのだろう。
なぜ、「右翼」、「左翼」という「言葉」が売れているのか。
退屈している。
日本中が退屈している。
だから、非日常が見たいのだ。
退屈している国は、滅ぶ。
それを、国民は知っている。全国民が感じている。
だから、防衛本能として、非日常を望んでいるのだ。
ただそれだけの気がする。
アマゾンには、本書に関して、こんな紹介文。
『右傾化が進む中、左翼の姿が見えなくなっています。
左翼はどこに行ったのでしょうか?
この別冊宝島は、その左翼の生き様に迫ります。
転向した左翼、地下にもぐった左翼、まだまだ全学連でがんばる若い左翼、
新しく登場するユニオンの労働者、右から転向してくる左翼。
そして全共闘運動から40年。彼ら団塊の世代にも迫ります。
日本全国、20代~80代まで、様々な左翼の人間ドラマです。』
『安彦良和(漫画家)、松崎明(元JR総連顧問)、安部誠(東京管理職ユニオン副執行委員長)、
西部邁(評論家)、雨宮処凛(作家)、知花昌一(読谷村議会議員)、鈴木邦男(一水会顧問)、
荒岱介(元ブント代表)、玉寄哲水(沖子連会長)、フリーター労組、素人の乱、全学連委員長などなど。
そして、佐藤優の寄稿「いま、マルクスを読み直す意味」など、
幅広い人々への取材と寄稿で構成された別冊宝島です。
左翼だけでなく、元左翼も、
そして左翼に批判的な方々の人間ドラマに迫った貴重な一冊です。』
早見慶子さんも語っています。模索舎の紹介もあります。
歌声喫茶の話や、沖縄の話、新しいデモの話なんかもあります。
楽しく読める、ほんのちょっとの非日常。
軽く読める、居眠りの夢。
過ぎてしまった明け方の夢。
覚えているか、目覚めたときにはきれいさっぱり忘れているか、どちらかの夢。
書店に並ぶ本。
「言葉」に金額がつけられ、「人間」には値札がつかない。
言葉に金額がつけられる先には、退屈以上の破滅が待っているのに。
言葉に高いも安いもない。
言葉にあるのは、覚悟だけのはずなのに。