『新・武士道論』 俵木 浩太郎

2006年7月24日 17:00:48

写真

梅雨が明けないようです。
それはまあ、そういうことで、
四の五の言ったところで、明けるまでは明けません。
そして、
おちる雨を見ながら、思います。
雨が降っているときには、雨が降っていて、
雨が降っていないときには、雨が降っていません。
「ああ、そうなんだ」と
納得したりしました。

傘をささずに、お散歩。

『新・武士道論』
俵木 浩太郎

「新」というあたりに胡散臭さを感じますが、
そうではありません。
系統立てた論旨というお手本のような展開です。

さて、武士道。

「武士道」と聞いて、
或いは、読んで、

それぞれ、「ふっ」と感じることはあるでしょう。
そのノスタルジやロマンシチズムや、また、その他の
ある種形容しがたい感情の説明を期待したら、
失望してしまいます。

本書は、そんな感情サイドからの論考ではなく、
あくまで、客体化された精緻で冷酷な視点で書かれた本です。

『非西欧諸国の中で日本だけが
「死の跳躍」
に耐え、近代国家へと脱皮することが出来た。
それは、日本人が歴史的に培ってきた武士道の賜物であった。
にもかかわらず、
昭和の軍国主義は大局においてそれを否定したのである。
新渡戸『武士道』以後百年、
孔子に端を発する武士道精神の生成・発展・展開を改めて歴史の中にたどり、
その21世紀における意義を説く。』

「死の跳躍」・・・・
ああ、そうなんだ。
「死の跳躍」
死ぬかもしれないリスクを背負って、
前に向って跳ぶしかない。
跳ぶしかない。
跳ぶしかない。

そう、あの維新もそうでした。
世界で日本だけがあのような、
「自己犠牲革命」を完成させられたのです。

孔子に端を発し、
松尾芭蕉を育み、
明治にあってなお福沢諭吉が讃えた士道とは何か?
日本史の中にその顕われを検証し、
和魂の再生を構想する本書。

雨が降るときには、
雨が降る。

雨が降らないときには、雨が降らない。

ああ、そうなんだ・・・・・・・