稽古、稽古、稽古、
2008年11月9日 23:18:25
そういえば、稽古をしている時間だけ、
このへばりついて離れない肩こりを感じていない。
帰宅して、
こうしてマシンの前に座ると肩こりの気色悪さが俄かに、起こる。
稽古に入る前の準備の時間。
劇団員が輪になって、体を温めていく。稽古ができる温度まで温めていく。
「高木さんもやったらいいよ!」
「肩こりに効くから」
と少し参加してみたりした。
頭の中のイメージではとても体が動いているはずなのに、
実際の肉体は、悲鳴を上げた。
関節のあちこちが、筋肉のあちこちが、筋のあちこちが「わーっ」と言った。
筋肉も関節もびっくり仰天。「急に何をするんだ!」と抗議の「わーっ」だ。
稽古、稽古、稽古、
寝ても醒めても、という形容がやっぱり正しい。
寝ても醒めても、作品のことを考えている。
全シーンの画は頭の中にある。そのイメージを創り上げたい。
そのイメージをきちんと言葉で説明したい。
それがなかなか難しい。難しい、というか、全然上手にできない。
困ったもんだ、ポンコツ頭。
稽古、稽古、稽古、
稽古で発熱する命、それが劇団再生だ。
目の前の命と向き合い、失語。
今日、友人Cさんから本を送っていただいた。
とんでもない本だ。
以前、近代文学館でショーケースの中で見た一冊。
こうして手にして読めることが奇跡に思える。
読みたくない。来年まで読むのはとっておこう。
と、思うも、ページを開きたい誘惑に勝てる気もしない。
大きな本。ケースに入った堂々たる佇まい。
色気が発散し、読み手を選んでいるのか。
もしかしたら選ばれた者しか読むことが許されていないのではないか。
そんな本だ。
今、書店に並ぶどんな新刊書も尻尾を巻いて逃げ出す風格。
机の上に立ててみて、いつまでも眺めている。
彫刻。そうも見える。
言葉と言う言葉で彫り尽くされた彫刻だ。
稽古場から帰ってくると、その本が居た。
嬉しくうれしくて、にやけっぱなしだ。
ページを開くとどんな言葉が待っているだろう。
この作者は、それらの言葉を掘り出すのに、どんな刃物を使ったのか。
稽古場で失語症に陥る自分にも持てる刃物だろうか。