●好きな本を4冊●『二十億光年の孤独』『未確認尾行物体』『囚人狂時代』『新右翼―民族派の歴史と現在』

2008年11月28日 22:45:20

稽古ばかりしている。目の前でも頭の中でも。
24時間稽古中。
本番をしないまま、永遠に稽古をし続けていくのではないか、
そんなことを感じる。それもまた楽しい設定。
上演される約束のない芝居。
いつかいつかいつか、と、形而下を喪失し、高い動機を持ち続ける稽古。

100年間一度も上演したことのない劇団。
100年間休まず稽古をし続ける劇団。
世界を彷徨い、人間を漂流し続ける、幻の劇団。
世界中の人がその劇団を知っている。
知っているけど誰も見たことのない幻の劇団。
いつかいつかいつか
その劇団の舞台を目にすることができるのではないか。
どこの誰が脚本を書いているのか誰も知らない。
何人の俳優がいてそれが誰なのか誰も知らない。
演出家は誰か
一体どこで稽古をしているのか。幻の彷徨う劇団。
漂泊する劇団。
100年を越え、1000年を孤独に。
国境を越え時代を超え彷徨う。
いつかいつかいつか
その劇団の舞台を観ることができるのではないか。
世界市民が待ち続ける漂泊の舞台。
彼らは知っている。観たことがないけれども知っている。
歓喜と官能にあふれた幻舞台。

形而下を失う夜がある。
背中の痛みがひどい。ひっくり返って本を読む。

こないだ形而下と形而上の間を覗いた。
そこを見ようと思って覗いたのではない。そんなことはできないのではないか。
通りすがりに、

ここがそうか、

と見てしまった。
見たら最後、そこを知る。
形而上と形而下の狭間のそれを言い表す言葉が果たしてあるのだろうか。
多分、ないだろう。
ほんとうにないだろう。
ないから、形而下だ、形而上だと喧々諤々するのだろう。
こないだチラ見した、そこ。

見て、衝撃を受けたわけではない。
見て、何かが変わったわけではない。

考え続けていた当然の風景があっただけだ。

やっぱりな、ここがそうだったんだな、と。

形而下と形而上の狭間。
あそこに足を踏み入れると多分、
100年や1000年は彷徨い続けるのだろう。

そう、稽古ばかりしている。
目の前でも稽古。頭の中でも稽古。24時間稽古中。
形而下を少しずつ失っていくのが目に見えて分かる。
半歩一歩と形而下と形而上の狭間に近づいていく。
いつも一足飛びに形而上にジャンプするのに、今は、違う感じ。
1000年の狭間が目の前に近づいてくる。怖いといえば怖い。

一枚のアルバムを手に入れた。

ふと頭に浮かんだフレーズ。一行の言葉。
その歌を知りたくて聴きたくて、磯崎いなほに調べてもらった。

そのアルバムは昔、確かに持っていた。LPだ。
だって、その他の曲は今も歌えるくらいに覚えていたし、それに、
ジャケットの空気も覚えていた。
ずっと以前のいつかに本を買うために売り飛ばしてしまったのだろう。
そのアルバムを探し歩いて手に入れた。
LPではなく、CDだけれども。
8曲入りのアルバム。昔はこんなんだったな。
一枚は8曲から10曲。今のように15曲も入っていなかった。
そんなことをふと思った。

目的の一曲を聴いた。固まった。涙が出た。
ノスタルジではなくて、今を泣いた。

稽古ばかりの24時。
演劇の何たるかを知らないずぶの素人とは、自分のことではないのか。


「街は今日も雨さ
びしょ濡れの心の向こうに
標識がかすんで見える
街は今日も雨さ

16の夜 家を出た
おふくろは 行くな 泣いた

知らない街でポリバケツをかぶって
それでも笑っていたさ
怖いもんなんて何もなかったから

そんな繰り返しの毎日が
やたら俺を弱気にさせた
立ってるだけでやっとの街で
一体何がつかめるんだい

おふくろは静かな声でたった一言
生きてなさい
そう言った

今日が昨日の繰り返しでも
明日が今日の繰り返しでも・・・」

SIONの声がこの素人の夜を襲う。

『二十億光年の孤独』谷川俊太郎
『未確認尾行物体』島田雅彦
『囚人狂時代』見沢知廉
『新右翼―民族派の歴史と現在』鈴木邦男