ふくろう君、餌を食べたり威張ってみたり

2008年11月30日 02:04:28

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ぱくぱくとよく食べる。
「ほっほー」と呼ぶと、気弱そうに「ほっほー」となく。
鳴き声とはまったく関係なくよく食べる。

本番一週間前だ。
毎日稽古、どころか24時間が稽古。
作品のことを考えていない時間はないんじゃないか。
本を読みながらもどこかで作品を思っている。
稽古場にはいるともう大変。
頭の中のなにかが稽古場のその向こうを見据えているのがわかる。

それはそうと、
この本を書き始める前に見えていたあの何万枚もの画。
それが、ぶれずに目の前にあり続けているのは驚きだ。
いや、驚くことではないのかもしれない。
けれども、

どこかであの何万枚の画とお別れする日が来るのではないかと、
思っていたのだ。

こつこつと削りだしてきたこの脚本。
出来上がり、稽古に入った。
劇団員が目の前で演じ始める。
生身の人間が、自分以外の他者がこれらの言葉を発信していくうちに、
あの自分だけの画を捨てなければならないのではないかと、考えていた。

そんなことはなかった。
今でも、ある。

言葉の無力を叩きつけられる稽古場。
言葉の無力に殴りつけられる。
ポンコツ頭。
言葉が出てこなくて口ごもる。
頭の中に全部あるのに言葉にできない。

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コトバは、餌を食べ終わるといつもの場所で、
くちばしの手入れ。ごしごし。
ていねいにこすり付けてくちばしの手入れ。

「ほっほー」と声をかけると、
手入れを中断して、こっちを向く。

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手入れを終えるといつも威張る。
なんでかしらないけど、してやったりという顔をする。
すぐ眠くなるくせに。

今日もそう。
食べるだけ食べたら、どうだ、という顔で宇宙を睥睨。

そして今は、ぼんやり寝ている。
真夜中だ。こんな時間か。
稽古を終えて帰宅して、脚本を読んでいた。
同じシーンを何度も読んでいた。
頭の中の画を見比べる。
その画とこの脚本は正しく整合しているか。

同じシーンを見続ける。
何時間も何時間も。座り続けて見続けて。

脚本に書かれた言葉と
頭の中にある画。間違いは、ない。
けれども、なにかがひかかる。
あれっ?と思う。
頭の中の画に正誤があるはずがない。
それを書き出した言葉にも齟齬を感じない。
じゃあ、どこがあれ?なんだろう。
数分のシーンを見続けている。

真夜中か。
寝てる場合じゃないのかもしれない。
うーん、うーん、と考える。
劇団員ひとりひとりの顔を思い浮かべる午前2時26分。